ドラマ「ナビレラ」
映画やドラマの配役は、エンタメ性を重視して、原作とは設定を変えることがよくある。
原作では中年男性なのを、映画では若い女性にしたり。
介護がテーマの映画「ロストケア」では、原作では中年男性の役を若い女優にして、封切り前の監督インタビューでは「エンタメ性を考えて女性にした」というようなことを言っていた。
その結果、原作で描かれていた「安全地帯にいる人」的な立ち位置の役が、映画では認知症の親を持つ子という立ち位置だけ強調されてしまい軽く違和感があった。
ドラマ「ナビレラ」はそんなエンタメ性を考えたらありえないような配役で、上質なドラマに仕上がっていて、脚本・演出・俳優の演技力が揃えば、若い人気俳優を主役に据えなくても、エンタメとして十分成立することを証明してくれたと思う。
このドラマの主人公は70歳のおじいさんなのだ。
イケメンでもない。
貧しい家庭に生まれ育って、郵便配達などをしながら子供3人を育て上げた苦労人。
家族のために働き続けた人生も終盤を迎え、昔の仲間と会うのは葬式で、生きている仲間も施設に入ったり、孫のオムツを替えていたり、自分のおむつを替えてもらうようになっている。
主人公のおじいさん(ドクチュル)は、子供の頃にあこがれていたが、貧しさゆえに習うことができなかったバレエをやってみようと考える。
ドクチュルが覗いたバレエスタジオで踊っていたのは若くて才能のあるチェロク。
チェロクは才能はあるのだがスランプ気味で、バレエスタジオの主催者はチェロクに、ドクチュルへバレエの指導をするよう命じる。
70歳のおじいさんと、23歳の若くて才能があり、だけど少し屈折したところのある青年のバレエを巡るストーリーなのだが、それだけではないことが見ていてわかってくる。
70歳のおじいさんがバレエを習うことに対しての家族(妻や子供たち)の反対、その家族たちがそれぞれに抱える問題、チェロクの抱える父親との葛藤などが丹念に描かれている。
そしてドクチュル自身が抱える問題が表面化することで、ドラマの後半は人間関係が大きく変化していく。
見始めた時は時々ウルっと来る程度だった涙腺が、後半はあちこちのシーンで決壊してしまった。
(ここからはネタバレ要注意)
ドラマ中盤でドクチュルの病がわかることで、ドラマの初めからのドクチュルのさりげないシーンの一つ一つが伏線であり、それが回収されていく。
ここらへんは、ドラマ制作側がアルツハイマー病の初期症状(MIC・軽度認知障害から軽度認知症へ移行する過程)をかなり調べこんでいることがわかる。
アルツハイマー病当事者から見た混乱の描き方も、周囲の戸惑いも、そこだけを切り取って「アルツハイマー病がテーマのドラマです」と言えるくらいによく出来ている。
主人公がアルツハイマー病であることがドラマの肝のひとつになっているが、ドラマのあらすじとかではアルツハイマー病のことはまったく書かれていない。そこが潔い。
そしてチェロクのドクチュルへの対応がすばらしい。
「君はどこでアルツハイマー病高齢者の接し方を学んだのですか!」と言いたいくらい。
バレエの天才的才能を持つ若者・チェロクの芸術家的感性が、アルツハイマー病高齢者の症例への対応力を自然と会得しているだろう。
それがラストへ向かう感動的なシーンに繋がる。
後半は涙腺が決壊するシーンが続く。
チェロクが言う「ハラポジ(おじいさん=ドクチュル)が僕を忘れても、僕がハラポジを覚えているから」というセリフがいい。
バレエを描き、スポ根的要素も盛り込みつつ、挑戦することの大切さ、支えあうことの大切さ、年齢を超えた友情を描き、ドクチュルやチェロクの周囲がそれぞれに抱えている問題と向き合って解決していく様も描かれている。
アルツハイマー病や介護を描くドラマや映画にありがちな、介護する家族の悲惨さや、アルツハイマー病のネガティブなイメージを強調するような描き方をしていないところがいい。
それがこのドラマを「アルツハイマー病の高齢者が主人公のドラマ」ではなく「夢だったバレエに挑戦する高齢者が主人公のドラマ」というあらすじにしたことにあらわれている。
韓国ドラマにありがちな復讐や財閥の跡目争いやラブ要素などはない。
胸キュンもドキドキもドロドロもないけれど、心に響くセリフが多くて、泣きながら見てしまうドラマなのだ。
万人受けするドラマではないかもしれないけど、名作だと思う。
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