ハンセン病資料館に行ってきた
今朝、思い立って「ハンセン病資料館」へ行ってみた。
関東で唯一の国立ハンセン病療養所・多摩全生園内にある。
全生園が出来た頃は相当に辺鄙な場所だったのだろうと思われる人里離れた場所に「隔離」する目的で建てたんだろうなと思った。(現在、周囲は住宅・所々に農地みたいな典型的な郊外の住宅地になっている)
夏休みが終わった平日の午前中なので空いているだろうなと思っていたが、本当に空いていて見学者はほぼ私一人。
資料館は広々とした建物で、大きくとられた窓から全生園の緑が見えて美しい。
展示物を見たり読んだりしながら、常設展示を見始めたら、いろいろ思うことがあふれてきてた。
展示物や説明文やら資料をかみしめながら見て回ったら、常設展示だけで見ごたえ満載で1時間以上は軽くかかる。
ハンセン病は1400年前から世界各国で発生していた病気で、宗教上の仏罰だとか神の教えを信じなかった罰だとか言われたり、遺伝病と言われた時代もあった。
伝染病と怖れられ、やがて原因が「らい菌」によるものとわかってからも、強制隔離・強制収容措置が取られた。そこには患者の人権は考慮されず、人々の安心安全のためという名目で警察権力を使っての強制隔離・収容だった。
っていう歴史を見て「なにこれ?今の入管とも似てる」と思った。
全生園などの隔離施設が出来た背景となる強制収容の結果、患者の人権は顧みられなかったし、適切な治療や介護を受けられず、労働を強制されたり、同意なく不妊処置をされたり、反抗的な態度を取る患者には懲罰房(独房)があったり、脱走しないように高い垣根や堀がめぐらされたりしていた。
という実態を、常設展示の展示物や資料を見ながら知ると、差別や偏見や人権無視の実態が可視化される感じで心に迫ってくる。
戦後、新しい憲法下で人権の尊重がうたわれていたし、ハンセン病の特効薬も登場したにもかかわらず、「らい予防法」という法律の下に強制収容が続いた。
常設展示は、ハンセン病の解説、歴史、戦前の強制隔離・収容が始まった背景、収容所内の生活の様子(展示物によってその生活の一端を知ることが出来るようになっていた)という順番になっている。
ここまでで常設展示の約半分で、これだけでも見ごたえ十分で、人権侵害の実態が胸に迫るような内容だった。
それから入所者たちの「生きた証」の展示が始まる。
常設展示の前半で、施設内の過酷な生活実態を知った後に、入所者たちの作品(陶芸や絵画、文芸など多岐にわたる作品群や施設内の行事に使われた道具類などなど)を見せられると、これが単なる「生きた証」だけではなく、施設内での不満のガス抜きであり、隔離措置の一環であり(趣味や芸術活動も教育もさらには消防まで所内でやることによって社会と隔離できる)、それによって外出願望・脱走願望を抑える意図もあったのだと想像できて、見ていてとても複雑な心境になった。
それから戦後の「らい予防法」の問題点や、ハンセン病患者の隔離を続ける政府や役人の見解などの展示が続く。
戦後もハンセン病患者への差別と偏見が続いた実態も展示されていて、戦後、ハンセン病患者が殺人事件の容疑者として逮捕され、死刑判決を受けて、執行されてしまった「菊池事件」というのがあったことを初めて知った。
死刑を執行された男性は一貫して無実を主張していたが、療養所内の特別法廷で裁かれた。現在、遺族が再審請求をしているそうだ。
その他にも戦後も続く差別や偏見の実態がわかる資料が展示されていて、ここらへんから見ていて辛くなるくらいだった。
現在開催中の特別展は「らい予防法闘争」七〇年 ―強制隔離を選択した国と社会―というテーマでの展示。
この闘争の経緯や、社会に与えた影響と根強い差別感情などが展示物でよくわかるように出来ていて、こちらも心が痛くなるような内容だった。
病気や障がいへの差別や偏見、優生思想などは、ハンセン病以外でも現代にも通じるものだと思った。
そして、患者の治療や介護・人権より、市民の安心安全を優先させるという考え方は、現代のトランスジェンダー差別やAll Lives Matterにつながる考え方に似ていると感じた。
このハンセン病資料館は無料で見ることが出来、併設されている図書館も無料で利用できる。
差別を考えるうえでとても大切なことがぎゅっと詰まった資料館で、多くの人に見てもらいたいなぁとつくづく思ったのだが、ガラガラで見学者はほぼ私一人ってなんだかなぁ。
交通の便が悪いところにあることもあるだろうが、交通の便が悪いところにあるのも意味があるのだ。
そんなこんなを考えながら帰路についた。
無料でもらえる資料も充実している。
今日は得られた情報量が多すぎて、脳内がいっぱいいっぱいになってしまったので、また再訪したいと強く思った。