きゅう
みんなのフォトギャラリーで使用して頂いた記事をまとめています。😌
はじめまして。 22歳。九州にいます。女。 うどんが好き。雑貨屋巡りが好き。 ウクレレ弾けるようになりたくて練習中… ここにかけること増やしていこ〜 覗いてくれてありがとう。 嬉しいです。 きゅう。
処方された薬飲み続けている。その結果、人の目怖くない!ミスしても、まっいっか!で次の日忘れてる!みたいな…感じで過ごせている。それはとても素晴らしいことなんだけど。それに極端に沈むことがなくなった。死にたい衝動もやって来なくなった(気がする)。でも、深く沈むことがなくなって緩やかに波を打つように穏やかに過ぎる生活の渦中で、心が揺れて涙が出てしまうほどのじんわりとしたドロドロした、心の中に存在している言葉にできない何かに気付くことが出来なくなってしまった。そして、薬が一瞬切れた
こんにちは。note書くの久しぶりです。 みんなのフォトギャラリーにいくつか写真をあげていて、どこかの誰かが使ってもらったら、お知らせメールが来る!(これほんと嬉しい!) んで、使用してくださった方の記事にお邪魔して覗きに行っちゃうんだけど…そしてこっそりいいねを押してく…その作業をいっとき怠っていた😭!!! 前はnoteに書くための熱量というか、気合というか、書くぞ!なんて思わなくてもすらすらと書きたい言葉が出てきていたけど、最近、文字にするのがしんどかった。文を書くに
人生で初めてサッカーの試合を最初から最後までみた。 なんていうと怒られそう。【誰から】 初めて見た試合。 W杯日本🇯🇵対ドイツ🇩🇪の試合。 にわかどころか、全くサッカーの知識がない私がなぜ試合を見たか? それは付き合っている彼の影響だ。 彼はサッカーを観るのが好きで、福岡のアビスパというチームを応援している。 彼と付き合うまで全く興味を持っていなかったサッカーだったが、彼との電話やふとした会話の中に【サッカー】があり、私の日常の中に少しずつ入り込んでいた。 まあ長々と
今年の7月、まるまる1ヶ月休職していた。 約3ヶ月経った。時間が過ぎた。 『もっとお客様と仕事を通じて話したい!』そう思い、映画館でポップコーンを売っていたフリーターは今までの経験も活かせるだろうと販売の仕事へ転職した。 販売の仕事。販売員としてはたらく。 それは1年しか持たなかった。 革製品のバッグを取り扱うセレクトショップだった。 ご来店されたお客様には必ず声をかけ、そしてアプローチ、ニーズの聞き出し、提案、そしてクロージング… という流れを自分自身で作り、ご購入に繋げ
さっき課長に「仕事休みたいです」って。 「休職したいです」って。 職場じゃ話せないから課長の車に乗って、課長が運転するドライブで話さないといけなかった。 話しにくかった。内容も内容だし。 考えがまとまらない精神状態?いや、今の職場のことについて職場の人と話すと涙が出てくる。 というか、部下の話を聞く空間の中で、 『タバコ吸っていい?』 には心底引いた。 なんだこの人?偉そうに大人ぶって気遣いがどうたらこうたら言ってる割に自分の行動は? 失礼極まりない。 そう言
今日は精神科に行きます。 2週間くらい前に予約を取って、今日がその予約の日。 正直今はきつくなくて、2週間前の私が精神科を必要としていたらしいから2週間前の私に付き合って今日は体を動かしている。病院に行って何を話せばいいか、何が辛かったか思い出せないし特に悩みもない。だけど、生理が始まった今だからそう言えるけど、また来月の生理が始まる前になれば、私は寂しくて寂しくてたまらなくなって、「薬でも何でもいいからとにかく助けてくれ」と苦しむことになるんだと思う。想像つかないけど。かれ
本当に思っていることが吐き出せない。私はいつもどこかの誰かに嫌われることを恐れて、心に思ったありのままの言葉を外に出すことができない。自分の部屋に置いてある日記でさえ、ためらってしまう。自分がいつ死ぬかわからないから、もし、この日記を書いた5分後に死んでしまったら、この日記を誰かが読んでしまうかもしれない。私の日記を読むことができる人はきっと私の近くにいる人だから、その人達が仮に読んだとしてもがっかりしないような内容を書かなければいけない、と思ってしまう。嫌われたくない。がっ
こんばんは 今日はnoteを書きたい夜のようです。 たまに、こういう時がある。 心の中でいつも一人で話していることを言葉にして外に出したい、声でも文字でも。とにかく心がいっぱいいっぱいになったとき、私はそんな気持ちになる。人を好きになればなるほど、その人に自分の気持ちを分かって欲しくて、理解して欲しくて、その人の心の理解の先には私がいるように仕向けたくなってしまう。それが強い口調になることだったり、泣いてしまうことだったり、どうにかして気を引こうとしてしまう。残念すぎる
過去のことを振り返って涙が出るとき、私の心の中で叫んでいる言葉はいつもこれだ。 本当は助けてって言いたかった。 あのとき感じた助けてという気持ちがそのまま消えずに残っていてそれがふと蘇る苦しさと、助けてと言いたくなる状況にいた過去の幼い自分を大人になった今の自分が俯瞰的に眺めることで生まれる同情によって涙が止まらなくなる。 時間が過ぎていく。 話したいことも伝えたいこともきっと沢山あったのに。 大切な人のことを何も知らずにこのままお別れに近づくのは寂しい。別れが来る
自分の気持ちをわかってもらいたいが為に、人の心を読みたくなる。こんなにも人の心はわからないのか。みんな普通の顔して何考えているんだろう。私は普通の顔して、苦しいって思っていて、そして未だに私は何が苦しいかわからない。
図書館で借りた小説を家で読み終えたことがない。本を読もうと本を片手に、もう片方にはスマホを持ち、いつもスマホが勝利する。だめだなあ。スマホを見てる理由は誰かからのメッセージ待ちで、でも、いざやりとりが始まるとかなり面倒に感じてしまう。複数の人とタイミングが重なるともうだめだ。いろんな仮面をつけたり、外したりしてメッセージを必死になって返信する。家にいるのにずっと神経がすり減ってしまう。もう、疲れる。だから、付き合う人とは毎日連絡なんてできないなと思っている。(毎日連絡できる人
歳を重ねても、いくつになっても、 「あのとき辛かった」 って言えるように 大人なんだから、これが世の中だから、と 自分が苦しめられた言葉を 私は言いたくない 苦しかった、寂しかった 外で吐き出せば、 邪魔者みたいな目で扱われる。 私は生きたいのか死にたいのか分からない。 きらきら見える空気もいつも近くにあって もうたくさんの星も見えてきたのなら すぐそばにそれはあって もういいよって言って私は弾けて散っていくから 流れた音も頭の中の音だっていつも近
未だに辛いこと思い出してやらない理由を探してて、自分が情けなくて、できることからやっていこうって、何回も頭の中で繰り返して、ふと生きてることに感謝して、こうして考えることが生きることなのかなと思ったら、全てに対して意味があるように思えてくる、ん〜やっぱり、よくわからんな
こんにちは。 私は6年前の高校2年生のとき、夏休み明けから学校に行けなくなった。いや、行かなくなった。 授業が始まると約40人近くの同級生がシーンとして、そのシーンとした状況が耐えられなかった。理由は未だにわからない。 通信制高校に行くことに両親は反対だった。 苦しかった。 辛かった。 6年も前のこと未だに引きずってるのが情けないと思うけど、やっぱり苦しかった。ここで吐き出させて。 でも、今、学校に行かなくても学べるんだっていう考えが少しずつ周りに広がっているの