広告は出せるだけ出すのがベストなのか? キノコ伝説に学ぶ空前の広告大量投稿ブーム
単一企業から出る広告が多過ぎる。
別にいくつ広告を出そうが各企業の勝手だろうと言われればそうだが、だからと言って2023年5月頃から明らかに単一の広告主が大量に広告を出す流れが活発化しているように思う。わざわざ広告を記録している物好きがそう感じたのだから、ちょっとだけお付き合い願いたい。
・「たくさん見る広告」状態の定義
まず「たくさん広告を見るよね」という状態にもいくつか種類があり、多分今このnoteを読んでいる方の「たくさん見る広告」の定義と広告を見るYAKISOBAの「たくさん見る広告」の定義は異なっていると思われる。
いわゆる「たくさん見る広告」というのは、ゴールデンタイムにおけるテレビCMの放送枠を長く取得していて長期的に露出の機会があるとか、Xでも中長期的に広告キャンペーンを開催しているとか、そういう理由で頻繁に見る機会のある広告を指す。
その中で印象に残る広告が何度も放映されていれば、必然的に「あの時期はファンタの先生シリーズのCMがすごくやっていたよね」「softbankの白戸家シリーズは面白かったね」みたいな印象が残る。
要するに一般的なたくさん見る広告とは、多くの広告枠を確保して露出の機会を増やしている状態となる。
対して今回議題に挙げたい「たくさん見る広告」とは、その名の通りたくさんの数の広告を投稿している事を指す。
白戸家シリーズのように企業イメージにまで結びついた名作広告シリーズであっても現代までで100作行っているかいかないかだろうが、最近インターネットで見かけたキノコ伝説だのマージから夜ふかしだのという広告は1ヶ月~2ヶ月という短期間で100本以上の広告を投稿し、全てプロモーション枠で掲載しているのだ。
広告を記録していると全く同じ内容の広告を複数投稿している事がよく分かるのだが、とにかく広告を数多く出す。数多く広告を出す事によって露出の機会を増やし使用者の琴線に引っかかる確率を高めているらしいのが、最近の変なゲーム広告によく見られる傾向となる。
・何故広告をたくさん出せるのか?
大前提として、そもそもインターネットが発達しSNSでの広告が当たり前になった昨今、テレビや新聞に出していた時代の前提を考えずに広告をしても良くなったのはあるだろう。
テレビであれば放送時間、新聞であれば紙面という物理的、時間的限界が存在していたのに対して、インターネットのSNS広告、バナー広告であればスワイプ出来るだけ広告が存在出来る。そして24時間インターネットに接続したタイミングで広告を表示できるので、時間的、物理的な制約から広告が解放されて久しい(※1)のである。
だが、最近の広告を見ていると2023年までの人類はインターネットでもテレビと新聞の気分で広告をしていたと思う。1つか2つ広告を作り、少ない広告を長い時間、広い場所で露出させる。別にそれでも良いのだが、その場合はテレビや新聞でやっていた広告とあまり変わらないし、インターネットで無くても良い内容なのは間違いない。
対して2024年のたくさん見るゲーム広告は何十パターンも広告を作り、たくさん作った広告をさらに複数回投稿して様々な広告を露出させるチャンスを作ろうとしている。
大量に広告を作ればそのうちのどれかは人気が出るし、どれかで人気が出ればあとは視聴者が勝手に話題にしてくれる。そのヒットを成功させた最たる例がキノコ伝説であり、「キノキノも遊ばない」だったり「キノコ勇者」のようなキャッチーな広告を出して2024年3月のスマホゲーム国内売上1位を記録する大ヒットを記録した。
もちろんゲーム内容もある程度は伴っているのだが、やはりここまでの成果を出す上で広告の影響力は無視できない。
・大量に広告を行うメリット
広告の大量投稿を行えば見られるチャンスが増える……というのは何となく思い当たる所があるかもしれないが、そのような雰囲気以外の理由も存在する。
まず最初に挙げられるポイントとして、一度ダメだった広告でも日付や時間をずらして投稿すると話題になる場合がある。超有名企業の広告ならまだしも、SNSにおいてプレゼント無しに広告が拡散されるかはある程度運が絡む。
キノコ伝説が上手くやっているのはここで、複数回時間をずらして投稿する事によってその運要素をなるべく排除しようとしているのが見受けられるのだ。もちろん本当に話題にならない物の場合は複数投稿してもしょうがないが、そのような広告は次やらなければ良いだけだ。
キノコ伝説以外の例ではあるが、聖闘士星矢 レジェンドオブジャスティスは市場調査用に12月前半で広告をパターンを一通り出し、サービス開始前12月後半の広告では人気のあった広告だけを再度複数投稿する事によってより効果的な広告を行えるように目論んでいる。
複数投稿を行う場合、二回分の波を作ってより良い広告にブラッシュアップする工程を踏みやすいのもメリットになるし、どの演出が訴求力のある広告かの検証もやりやすくなる。少しずつパターンを変えるだけで自然とABテストが行えるのは優れていると言えるだろう。
借金減額診断の場合、全く同じ動画でもサムネイルを変える事によって視聴数を伸ばすようにしている。
また借金減額診断やメンズクリアは同一の動画でも別アカウントで投稿すればブロックを回避出来るし、いざチャンネルが凍結されても広告し続ける事が出来るというメリットを活かすために複数投稿を行っていたのもある。
ここまでの例を見れば、大量に広告を投稿するメリットもそれなりにある事がお分かりいただけるだろう。
・どうやって広告を量産するのか?
とはいえ、「広告をたくさん出せば良い」と簡単に言うがそんな簡単に大量の広告を出せる物では無いと思う方も多いはずだ。広告を出すための資金面をクリアしたとしてアイデアはどこから取ってくるのか、そしてそれだけの広告をどう作るのか?
そんな広告の量産方法もキノコ伝説はよく考えていた。
・起用するインフルエンサーを上手に多数の広告で出演させる
広告にインフルエンサーを起用するのはよくある事であるが、キノコ伝説が選んだのは東雲うみというグラビアアイドルだった。
広告に美しい女性を起用しようというのはよくある事だと思うが、キノコ伝説は7つの動画広告を作成してShort動画、X、Youtubeの限定公開でそれぞれ展開し、目に入る機会を増やしている。
また全く同じ画像素材でも画像の構成を変えて複数出している。
同じ素材でもレイアウトが変わるだけでインプレッションは倍以上変わってくる事もあるので、写真素材を色々な構図で使い回して効果的な構成を探すのは理にかなっていると言えるだろう。
有名声優である竹達彩奈もキノコ伝説の広告にはしばしば登場していた。
こちらも一つの宣材写真を様々なレイアウトで登場させており、1つしか写真が無かったとしても組み合わせ次第でいくらでも広告を作り回せる証拠の一つになるだろう。
基本的には竹達彩奈の演じているキャラクター+竹達彩奈の宣材写真という構図で組み立てられており、内容自体はある程度パターン化されているのも広告を量産しやすくなっている一因であると言える。
またキノコ伝説の広告でだけしばしば見受けられるインフルエンサーと言えば、ワンワン咆哮ニキこと「六艾司 Lilice」である。
彼は台湾でマルチに活動するアーティストであるが、キノコ伝説の前にリリースしていたゲーム『こんにちワン!ヒーロー』でもテーマソング『社畜の逆襲は今だ』で1年かからずにYoutubeで390万再生を突破する成果を挙げたのだ。
そんな広告界の大人気アーティストとなった六艾司 Liliceを起用する事によって、さながらキノコ伝説第二のイメージキャラクターのような立ち位置に仕立て上げた。既存のインフルエンサーを起用するのではなく、日本で新たな人気者を一から育て上げる事が出来たのはキノコ伝説にとって幸運だったと言える。
・切り取る場所を変える
テーマソングを作ったキノコ伝説は、それぞれ10秒程度に切り抜いてそれぞれ広告の足しにしている。
日本の広告の場合は基本的にサビの部分を切り抜く場合が多いが、キノコ伝説の場合はサビに加えてメロの部分も切り抜いていて、それぞれ広告にしている。もしかしたら確認できていないだけで他の部分も切り抜いているかも。
1分も音楽があったって広告では5秒でスキップされたり、そもそもブラウザバックされたりするのだから、それぞれ細切れにして聴かせたい部分をピックアップしようと考えたのだろう。
他にも長編でPVを作ったならばそれをそのまま出すだけでなくいくつかのパートに分けて投稿すると広告の数を稼ぎつつ、人気の場面だけ切り抜いて翌月、翌々月の広告にリサイクルする事も出来る。
・生成AIを使う
質は何でも良いからたくさん何かを作りたい、という時に生成AIは選択肢に入る。とはいえ未だに国内では抵抗感があり、問題性も指摘されている技術なので、これを使用するなら批判を覚悟しなければならない。
ただし、キノコ伝説における生成AIの活用例は1月がメインだったのも要チェックポイント。低コストで広告を作れる上に炎上したら話題も獲得出来て、1月に炎上しても本リリースの3月には多くの人にとって忘れられているから炎上してもOK、しなくても広告を量産できるからOKというタイミングをメインに行う施策としている。
逆に2月以降は生成AIを使った広告が少なくなっているのを見るに、リリース直前は声優コラボやインフルエンサーコラボでなるべく健全な話題を取りに行った可能性が高い。この辺りは2023年のドット勇者のやり口を参考にしていると言えるだろう。
・全く同じ映像・画像を重ねて広告する
全く同じ映像でも何度か投稿すると話題になる場合もある。先述の通り、前に人気だったものをそのまま再投稿するのもある。
以前は投稿するアカウントを変える事によってブロックを避けたり、アカウント削除がされても保険として他の広告を出し続けたりする事もやっていたが、2024年前半ではあまり見かけなくなった印象。
・過去の名作広告、他社も使っている広告テンプレをパクる
ステージを紹介する広告、 武器を紹介する広告はかつて他のゲームの広告でも見受けられた頻出広告アイデアであり、こういうヨソがやっていてそこそこ人気らしい広告をパクって数を稼ぐのもよくある話である。
ただしこの辺りは海外広告特有のパクリ合い精神がもたらしている側面が大きいし、全てをパクっている訳では無い。キノコ伝説の場合は他のゲームと差別化するためにステージ紹介をするにしても全部ドット絵にするとか、武器紹介をするにしても隣にキャラクターの絵を置くとかの工夫がなされている。
またキノコ伝説は、おそらく意図してAge of Originsがやっているゲートをくぐりながら射的を行う広告を避けている。広告を見ていると分かるがこのゲートくぐり射的広告は現代日本の広告における新しい学校のリーダーズくらい出てくる頻出アイデアなので、これをあえて採用していないのは広告制作側の意図的な選択だろう。
避けている理由を考えるにキノコ伝説には射的系の広告が合わないと感じたのだろうが、どんなアイデアだってパクれる現代ではテーマが異なると感じたアイデアを取捨選択するのは重要である。
・他所のタイトルもパクる
ポケモンなど既存の大手タイトルをそれっぽくパクるのもよくある話である。当然良くないのだが、広告量産の上で他社作品をパクるのはこういう広告では常套手段になりつつあるので、そこも嘘偽りなく記録しておく必要がある。
このようなパクリ広告も基本は炎上狙いなので、リリース2ヶ月前などゲーム本編への悪評だけが忘れられそうなタイミングでやっているのは生成AIを活用した広告と傾向が近い。これらの画像もあくまで「それっぽい」だけなので、明確にダメを出せないラインなのもイヤらしい。
・キノコ伝説以外で行われた広告量産術
当然キノコ伝説以外でも広告は量産されている。その他で行われている広告量産法を見てみよう。
・紹介したい商品が多く、全部広告すれば量産出来る
ショッピングサイトの場合、紹介したい商品自体はいくらでもあるだろう。本来はそこから厳選して広告する商品を決める訳だが、全ての商品を広告をする資金と労働力があるなら広告したい商品を全部広告すれば簡単に膨大な数の広告をリリース出来る。
古くはnonnotoo、最近ではTemuなどの海外通販サイトがやっている手法。ゴリ押しするだけの商材と資金があるなら出来る。
・過去に作った広告やテーマソングを使いまわす
もし過去にも同じような商品を作っていて広告を使い回せそうであれば、広告を使い回すのもコストカットである。何ならこういうゲームの場合ゲームの中身もアップデートして使い回す場合もあり、使い回しに次ぐ使い回しが止まらない。
まあさすがにここまで使い回すのは手抜き感が否めないが、十年前、二十年前の名作広告をリバイバルするようなことはある。過去にウケた物は大事に取っておくと良いでしょう。
・広告を大量に行うデメリット
広告は出せるだけ出した方が良いように見える現代社会であるが、当然デメリットもある。
最も大きなデメリットとしてはやはり費用と労力がよりかかる事、そして結局広告本体のクオリティが高くなければどんなにAIや使い回しで広告を量産しても意味が無いという事である。
その最たる例がキノコ伝説をリリースしたJoy net gamesがひっそりとリリースしていた『マージから夜ふかし』の広告。同一の広告を大量に広告する、他のタイトルや広告をパクる、AIを使うとあらゆる量産術を使って1ヶ月で126本もXで広告をしていたにも関わらずほとんどの広告が話題になっていなかった。
広告を量産するのは時間と費用があれば出来るかもしれないが、話題を作るのは難しい。結局広告をたくさん出すことを目的にしても、話題には繋がらないのだ。
また今でこそ大量の広告を一気に放映する事が広告システムに噛み合って話題を作れているが、今後規制やアルゴリズムの変更によって全く意味がなくなる可能性もある。広告を出せるだけ出すのがいつまで有効かは分からないが、少なくともキノコ伝説が2024年前半に話題になった裏側には広告の大量投稿が噛み合った側面がある事は記憶しておいても良いだろう。
・注釈
※1 時間的、物理的な制約から広告が解放されて久しい
念の為補足しておくとXにはトレンドテイクオーバーのような1日中固定の広告枠があったり、TiktokのTopviewのような一番最初に表示される広告の権利があったりと、良い広告枠を取って少数の広告で勝負するというやり口自体は健在である。