遣唐使の停止・国風文化 教科書の記述

本日もよろしくお願いいたします。
今日はあるフォロワー様よりいただいた遣唐使の停止と国風文化の関係性を中学校の教科書記述をもとにまとめていきたいと思います。
最後までお付き合いよろしくお願いいたします。


■気になるポストとは?

昨日気になったポストとは、国風文化を遣唐使の停止によって国風文化が……という話を聞きました。少し説明が足りない気がしました。
そこで、中学社会の教科書では遣唐使の停止と国風文化の関係性をまとめていきたいと思います。
ただし、来年から教科書の小改訂が行われるので、2025年以降は記述も変わる可能性があります。その時には改めて記事にしたいと思います。
なお、令和書籍については、手元にある令和2年度の不合格教科書をもとに説明しているため、合格版の「国史教科書」と記述が異なる可能性もあります。こちらは教科書版になって変更があれば修正したいと思います。

■中学歴史教科書の記述

では、早速それぞれの検定教科書(令和書籍も含む)をまとめていきたいと思います。関係の強いところを中心に引用させていただきます。

➀東京書籍の記述

東京書籍の記述から見ていきましょう。

平安時代の初め、貴族は引き続き唐風の文化を好み、漢文の詩を盛んに作りました。しかし、唐との関係が変化してくると、唐風の文化を基にしながら、日本の風土や生活、日本人の感情に合った文化を生み出していきました。これを国風文化といい、摂関政治のころに最も栄えました。

「新しい社会 歴史」(東京書籍)P50より

遣唐使の停止をきっかけとは書いていないものの、関係が変化と書いているので、関係がないわけではないと思いますが、唐風の文化を基にしている、という点は見逃せません。遣唐使の項で「菅原道真は、唐のおとろえと往復の危険とを理由に派遣の延期を訴えて認められ、これ以降、遣唐使の派遣は計画されなくなりました」とあります。

②教育出版の記述

続いては教育出版の記述をまとめていきましょう。

9世紀の末、唐の勢力がおとろえると、朝廷は遣唐使の派遣を取りやめました。(中略)日本は宋や高麗との正式な国交は結びませんでしたが、その後も商人による交易や、僧の交流が行われました。
一方で貴族たちは、それまでに取り入れた中国の文化をもとに、日本の風土や生活にあわせてつくり替えた文化を発達させました。これを国風文化といいます。

「中学社会歴史 未来をひらく」(教育出版)P50より

こちらでは、正式な国交は結ばれなかったこと、商人による交易、僧の交流についても記述されていました。遣唐使の停止の理由については触れられていませんでした

③帝国書院の記述

続いて、帝国書院の記述を見ていきましょう。

9世紀になり、唐が衰えて東アジアの安定した体制が崩れると、周辺の国々は唐と正式な交流を持たなくなり、政治と文化において独自の動きをするようになりました。日本も遣唐使の派遣を取りやめましたが、商人や宋に渡った僧侶の活動により、引き続き書籍や陶磁器・薬品などの中国の文物がもたらされました。
摂関政治のころには、唐風の文化を基礎にしながら日本の貴族の生活や好みに合わせようとする工夫がなされ、独自の文化が生まれました。この時代の文化を国風文化といいます。

「中学生の歴史 日本の歩みと世界の動き」(帝国書院)P53より

東アジアとの関係を記述し、唐風の文化を基礎としている、という記述もあります。遣唐使の停止については、P51にある通り、「唐の衰えにより、多くの危険を冒してまで公的な使者を派遣する必要はないとした菅原道真の提案により、894年、遣唐使の派遣が停止されました」とありますが、そことの関係性も触れています。

④山川出版社の記述

続いて山川出版社の記述を見たいと思います。

9世紀になると、東アジアの海域では新羅や唐の商人が活躍し、日本にも唐の産物が盛んに運ばれるようになった。こうして日本に輸入されたものは唐物と呼ばれる。遣唐使を派遣しなくとも、唐物を入手できるようになった日本は、唐に8世紀のような勢いがなくなっていたこともあり、838年を最後として遣唐使は送られなくなった。(中略)
宮廷社会では唐物や中国の文学が好まれたが、その中で日本独自の文化も自覚されるようになった。中国の文化を取り入れながらも、日本の風土や生活を題材とした日本人の感性に合った文化が生み出された。このような文化を国風文化と呼ぶ。

「中学歴史 日本と世界」(山川出版社)P54より

こちらも中国の文学が好まれていく中で日本独自の文化が自覚された、とあります。

⑤日本文教出版の記述

では、日本文教出版の記述を見ていきましょう。

9世紀の終わりから10世紀にかけて、東アジアは大きく変化しました。(中略)日本が遣唐使を派遣することもなくなりました。唐の文化の影響力は弱まっていき、周辺の民族がそれぞれの文化を育てる時代になりました。
平安時代の貴族たちは、唐の文化を吸収したうえで、日本の風土やくらしに合った、優美で洗練された文化を好むようになりました。これを国風文化といいます。

「中学社会 歴史的分野」(日本文教出版)P55より

こちらでは、菅原道真が遣唐使の停止を記述していません。ただ中国の影響が弱まって、周辺の民族が文化を育てる→貴族たちが風土や暮らしに合った文化を好んだ、とまとまっています。

⑥育鵬社の記述

では、育鵬社の教科書はどう書かれているでしょうか。

9世紀に入ると唐がおとろえたため、894年、朝廷は、菅原道真の意見を採用して遣唐使を廃止しました。その後、大陸の文化の影響を受けつつも、わが国独自の優美で繊細な貴族文化が発達しました。これを国風文化とよび、藤原氏による摂関政治の時代に最も栄えました。

「最新 新しい日本の歴史」(育鵬社)P62より

ここでは、菅原道真のの意見を採用して遣唐使を廃止した、とあります。ですが、ここは遣唐使の停止もしくは中止が表現的には正しいのかな、と思います。ただ、大陸の文化の影響はあった、ということは見逃してはいけません。

⑦自由社の記述

来年度より久々に公立中学で採択のある自由社の教科書を解析しましょう。

894年、菅原道真(のちの右大臣)の建言によって遣唐使が中止されました。その後、唐風文化を基礎としつつも、日本独自の特色も兼ね備えた、優雅で繊細な文化が次第に発達しました。これを文化の国風化または単に国風文化とよびます。

「中学社会 新しい歴史教科書」(自由社)P60より

遣唐使の中止は少し微妙な言い回しかもしれません(実教出版の日本史探究、山川の高校日本史などはこの文言を使用)がここはあまり間違いではないと思います。ほとんど他の教科書と同じような記述でした。

⑧学び舎の記述

続いて、私立中学での採択がある学び舎の記述を見ましょう。

この時代、平安京の宮廷文化には、東アジアの大きな影響がつづいていました。それとあわせて、日本の独自な文化が重視されるようになりました。このような平安時代の文化を国風文化とよびます。

「ともに学ぶ人間の歴史 中学社会歴史的分野」(学び舎)P51より

記述としてはやや特殊です。ただ、東アジアの影響、という記述は他の教科書でも共通していました。

⑨令和書籍の記述

最後に令和書籍の記述を見ましょう。こちらの記述は現在所有している令和2年の不合格教科書のものを参照しています。

我が国は推古天皇の時代に遣隋使を送ってからというもの、隋の滅亡後も遣唐使を送ってきましたが、第五十九代宇多天皇の治世の寛平6年、菅原道真の建議により、遣唐使は廃止されました。唐の政治が不安定になり、国としても弱体化した結果、唐から学ぶものがあまりなくなったことと、航海があまりに危険であることがその原因でした。(中略)
桓武天皇が仏教と唐の文化を重んじたことで、平安時代の前半は特に唐風の文化が栄えましたが、遣唐使が廃止されると、国風文化が発達しました。

「中学歴史 令和2年度不合格教科書」(令和書籍)P85より

こちらでは以前の中学社会で学んだことをそのまま記述している感じでした。「菅原道真の嫌疑により、遣唐使は廃止されました」「遣唐使が廃止されると、国風文化が発達しました」の2点は当時の文科省からツッコミが入っていました。前者は遣唐使の派遣が中止されたことが遣唐使を廃止したかのような誤解を生じる、とありました。後者は遣唐使廃止と国風文化発達との関係が誤解する恐れのある表現、とありました。
これが合格したものでどう変わったかは詳しくは見ていませんが、ご存じの方がいましたらご教授ください。

■中学社会で共通していること

中学社会の記述で共通していることは、東アジアの影響を受けて唐風の文化をもとに独自の文化が形成された、ということです。
そして、遣唐使の停止→国風文化が形成という記述があまりなかったことは注目点です。ということは、遣唐使の停止につながった背景と原因、その影響の因果関係を正しくつかめればいいかな、と思います。

でも、遣唐使の停止(中止)の影響も否定はできないと思います。ただ、唐風の文化を基にしている、ということを忘れないようにしましょう。

つまり遣唐使の停止=国風文化の成立、という関係性は少し違うのかな、と思います。

追記1:これについては「ストーリーで学び直す 大人の日本史講義」(野島博之著、祥伝社)に「国風文化は遣唐使を廃止し、大陸との交流がなくなったから生まれた、ということがしばしば言われていますが、そうではない」と明記されてます。「遣唐使廃止後、大陸との交流はむしろ多くなっていた、また国風化の理由もそれとは無関係」とも記されています。

■あくまでも教科書から読み取った話なので……

本来はこのような解析を本格的にするのは研究書などを読むのが最適だと思いますが、教科書解析を見る限りの話でまとめています。
そのうえでもし、上記の私見と異なる点がございましたらご教授いただけると幸いです。

日本史の教科書でもほぼ同じような記述でしたので、上記のことを注意しながら指導をしていくといいと思います。正しくは「遣唐使の派遣中止」といった方がいいのかな?と思います。もし、違っていたらご教授ください(これについては追記2でまとめ直してます)。

追記2:有識者の方からご意見を賜りました。参照にするのは「大学入学共通テスト日本史Bが1冊でしっかりわかる本 原始〜中世編」(塚原哲也著、かんき出版)の古代編13です。
そこには遣唐使の派遣を停止するという結論は出ていない、とあります。これらは資料を使って説明されてます。そのため、東京書籍の記述は不適切になります(遣唐使の延期を訴えた、という部分だと思います)。なお、練習問題でもそのように解説されてます。これは「読んで深める日本史実力強化書」(塚原哲也著、駿台文庫)でも指摘されています。
そこからも遣唐使の停止(中止)を決定した、という事実はない(日本史リブレット14 東アジア世界と古代の日本)そうです。なし崩しで派遣計画はたち消えとなったのです。

参考書では、鈴木和裕先生が今年出した「決める!共通テスト 歴史総合+日本史探究」(Gakken)P94に遣唐使の派遣中止と国風文化の説明が書かれています。こちらを参照したらいいと思います。
ただし、「日本史Bの点数が面白いほどとれる本」(KADOKAWA)では「中国の文化を捨てて日本的な文化が作られた」に対して、「唐からの文化流入はなくなったけれど、中国から民間の貿易船が来航し、唐物が輸入され続けた」とありました。確かに「民間の貿易」は行われていたが、中国からの文化も取り入れていたことに注意しないといけません。

今回は教科書記述を中心に解析を行いましたが、中国の文化は取り入れていたことを念頭に意識して東アジアの変遷と関連付けて整理する方がいいでしょう。そうすると古代文化の影響も説明しやすいと思います。正誤問題でもこのような考えは必要になります。
これを一問一答形式のような学習だけで行うと点でしか理解ができないので関連性が意識できません。そのような学習は高校入試では通用しても大学入試になると途端に厳しくなります(定期テストでも範囲が広いためコツコツやっておくに越したことはない)。
正しく教科書を読み・理解していきましょう。

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中学社会・日本史講師吉野@予備校講師
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