「つくる、その先に。」作家 近藤顕とは。
8月19日に閉幕したKUNIBIKI'24。会期中に多くの人だかりを集めたこちらの作品。
鑑賞者が作品のピースを自由に組み替えることができ、人が関わるたびに変化する様子も楽しめるものだ。
作者は近藤顕(コンドウアキラ)氏。
彼の作品は「不思議なゾクゾク感を放ち、どこか近寄りがたい雰囲気」を纏い
それは作者自身もその雰囲気を放つ印象がある。
しかしその一方で、彼の作品にはたくさんの人が集まり、
また彼自身の周囲にもたくさんの人が集まっている。
この不思議な光景の源に触れてみたいと思い、近藤氏へインタビューを申し出ることにした。
ーーー現在の作品について幼少期のエピソード
作品に使われているひとつのピースを手に取って『こういう形のもの。これが自分にとっては顔や身体に見えるんですよ。』と教えてくれた。
幼い頃からこういった「カタチ」のものに「個性を持ったキャラクター」を与えて遊んでいたと言う。
『ちっこい庭石ひとつひとつを見て、かっこいい印象を受けるものは"主人公"に、敵役もいて、その敵にも幹部がいて、戦わせていたんです』
幼い頃の彼はM78星雲光の国出身のスペシウムな超人でもなく、世界を恐怖に陥れた火を吹く大怪獣でもなく、"石"の主人公と悪党を戦わせ、金槌で石を砕き続けた。
『こんなことをやっているうちに「この石はこれぐらいでこうやったらヒビだけ入るな」とか「この石は硬いから多分割れちゃうな」とか石のことがわかるようになりました。砕くだけでなく、絶妙にヒビを入れる技術も自然と習得したんです』と笑いながら語ってくれた。
現在のきっかけとなる原体験やそれに近い事柄が誰にもあって、幼い頃のそうした体験が積み重なることで、人格が形成されていくとも考えられる。
現在の近藤作品におけるルーツはこの「遊び」から生まれたものだ。
彼は続けて教えてくれた。
『この作品は、1000のピースが集まってできた作品。新しい形が生まれると直感で「個性」が頭に浮かぶんです。だから全てのピースが愛おしく、彫り出して形ができた時の喜びが1000回続くんです。』
ーーー「なにか」とゾクゾク感。
彼が手がける作品の魅力のひとつ「何とも言えない形から感じるゾクゾク感」
時には波のような、マグマのような、感情の起伏を模した波形のような。
近寄りがたい雰囲気を放つ、しかし近くで観たくなる。
彼の作品づくりについて尋ねていると、おもむろにノートを取り出しながら説明をしてくれた。
『何か集合体のシルエットや姿から形を抜き出し、それをベースに作品を作る。これが原点です。』
その抜き出された形が、動物や植物などの姿あるものではなく、「なにか」だと彼は語る。
森の木々、暗闇から浮かび上がってくる影。それらを言葉では表せない"ゾクゾク"とする存在として捉え、自らの作品へと投影していくという。
このゾクゾクとする「なにか」を再現する彼独自の造形方法を無形造形と彼は名付けた。
『レジンに水を混ぜ、気泡を発生させます。
分量など様々な要素を計算して30%は自分の思惑でコントロールするが、残りの70%は必然性に任せて作っているんです』
自然の中にある必然性、それは小さい頃に彼が遊んでいた石ころのよう。
川から流れてきて転がされて、色んな人に踏まれて形が作られていく。
そういった自然現象の中にある必然性と、
自分の中にあるゾクゾクとする「なにか」を、彼は作品として世に生み出している。
だから近藤作品は「言葉にできない作品」という存在として私たちの目の前に立つ。
作者の中にある悶々とした「なにか」が具現化された作品を見て、鑑賞者である私たちも悶々とするのである。
ーーーつくる、その先にあるもの。
この年の洋画展で準会員優賞を受賞し、授賞式では感極まる瞬間を迎えた。
常に冷静で、表情をあまり変えない彼が、大勢の前で涙したという。
作品を作る苦悩は、想像の域を遥かに超える。
作者の前に1人の人間として、様々な欲求を削ぎ落とし作品に向かう。
はじめからゴールが必ず見えるわけでも無いという。
しかし、完成の足音が聞こえてくると苦悩から悦びへと感情が変化し、
『やっぱり僕の側で芸術が待っててくれたんだねと感じるんです。』と語る。
作家を続ける理由を尋ねると、彼は答えてくれた。
『僕は最後どうなりたいかって言うと、作品を販売してお金をたくさん稼ぎたいとかではなく、「芸術家って言葉を聞いた時に誰かが僕を想像する」そういう存在になりたいです。
だからどれだけ貧乏で、ひどい生活になってもそうなれればいいって思っています。』
Photo by 岩谷佑一郎
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