ノコギリクワガタ
夏休みっぽいお話です。
こどもの頃のことでした。
虫捕り少年だった私。
虫の中でもクワガタがとにかく好きで
"幻のオオクワガタ"を捕まえるんだ!と毎年夏休み前に叫んでいたとか、いなかったとか。
結局その夏、オオクワガタは見つけられなかったのですが、
ノコギリクワガタを飼うことになりました。
「ノコ」と名付けました。
妹がアレルギーだったため、ワンコもニャンコも縁のなかった私にとって初めての飼育。
居ても立っても居られません。
早速、虫かごの中に木を立て掛けて
ご飯のゼリーを置いて
あとはひたすら「じぃーーーっ」と観察。
宿題の絵日記も捗ります。
「8がつ1にち
きょうは、うごきませんでした。」
「8がつ2にち
きょうも、うごきませんでしたが、ノコのツノがとてもギザギザしていてとてもかっこいいです。」
「8がつ3にち
きょうもうごきませんでしたが、めがとてもクリクリしてて、とてもかっこいいです。」
「8がつ4にち
きょうもうごきませんでした。
ノコ、少しは動けや。」
こんな日記、先生は読むの苦痛だったことでしょう。
(世の先生方、夏休みくらい残業せずに帰ってくださいまし。)
夏に動きたくないのは人間も一緒。
ですが、彼らとは事情が違います。
ノコギリクワガタの寿命は、およそ3カ月。夏の間だけってことですね。
8月に入ると、少しずつ動きが鈍くなってきます。
そんな弱々しいノコの姿を見かねた母親が
「ねぇ、この子放してあげましょう。最期くらい自由に暮らしてもらおうよ。」
と、私に一言。
寂しさもありましたが、ノコの気持ちを幼いながらも感じ取り、逃してやりました。
虫かごから元気に羽ばたいていく姿を見て、少し大人になった(気分に浸る)私。
おそらく私にとって初めて「死」を意識させたクワガタとのお話でした。
さて、
なぜこんなことを書こうと思ったかというと、こんな記事を読んでしまったから。
milieu「父が娘についた嘘」
先ほどのクワガタ物語には続きがあります。
放してから数日後、母親が我が家の軒先で動かなくなっているクワガタを見つけました。
すると、こんなことを言い始めました。
「これ…ノコじゃない?最期に戻ってきたんだね。」
私も
(不思議なこともあるもんだ〜。)
と思ってました。
その動かないクワガタがノコだったのか、当時ハッキリ断定できてはなかったですし、今はもうよく覚えていません。
今思えば、母なりの優しさだったのかもしれませんし、本当に帰ってきてたのかもしれません。
仮に母が嘘をついていたとしても、私にとっては良い嘘でありました。
その時"だけ"は。
初めて直面した身近な死を、"ちょっと良い話"として捉えてしまったことで
幼い頃から大人になるまで、「死」は私にとって「ちょっとしたファンタジー」くらい遠い存在となってしまいました。
そして、歳を重ねた今になって、死というものがとてもとても恐ろしい存在としてのしかかってきてしまいました。
死生観でいうと、友人の女性からこんな話を聞きました。
彼女は10匹を超える猫たちと暮らしています。
その猫たちは捨てられたり、傷だらけでやってくる子もいて
世話をしているうちに可愛くなって住まわせてあげるんだとか。
彼女の猫たらしな性格がたくさんの猫たちを救っているようです。
そんな生活を何年もしていると
年老いていき、天国へ旅立つ猫たちもいるそう。
「猫と別れの時、つらくない?」
と尋ねると
「膝の上でね、静かに息をひきとるの。
つらいことたくさんあったかもしれないけれど、少しは幸せに旅立ってくれたかなぁって。
私の元で旅立ってくれて、ありがとう。って気持ちになるの。」
猫との別れを経た彼女の死との向き合い方に、私は憧れます。
中学の先輩。
高校の部活の恩師。
会社の先輩。
ひいばあちゃん。
尊敬していた友人。
少しずつ自らに近付いてきている「死」。
肉体が土へ還るのと同じように
自然と受け入れられるようになりたいものです。
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