崇神天皇=「阿波の国譲りを制した物部王朝初代天皇」説。

出雲口伝で語られる「物部東征と、真の大和の国譲り」、そして魏志倭人伝やアメノヒボコ伝説を組み合わせて解いた「卑弥呼・吉備津彦の姉弟と、吉備勢力との倭国大乱」の一説を考え付いたので、推敲しました。


はじめに

漢風諡号に「神」を持つ10代崇神は、歴史の大きな転換点であるという説がある。
古代出雲王国の王族・冨家の末裔を称する富當雄氏の口伝、通称「出雲口伝」では、「神武東征=物部東征」説が主張されており、記紀の饒速日の子孫である大綜麻杵命の妹・欝色謎命と、大綜麻杵命の娘の伊香色謎命が孝元・開化に嫁いだ事績は、物部王朝への政権交代である、と主張されている。

天皇の諡号について

古代史の考察には、様々な文献が用いられるが、天皇の漢風諡号・和風諡号は興味深い。
漢風諡号では、「孝」の字を持つ5代から8代孝元までと、9代開化の間に、なにか変化があったことが読み取れる。
一方の和風諡号では、「日本根子彦」を共通して持つ7代から9代開化までと、10代崇神の間に、なにか変化があったことも読み取れる。

崇神天皇の謎

そして注目すべきは10代崇神の漢風諡号「御間城入彦」です。
古代史研究家の佐藤洋太先生の著作『神武天皇と卑弥呼の時代』の中で、但馬故事記には「入彦」の意味が記載されており、「入り来る彦」つまり、他所からそこにやって来た人物であることの意味だと解説されています。
10代崇神の場合、他所から御間城にやってきたことになります。古代、「城」とは建築としての城自体だけでなく、城を中心とした街を表すことも多く(ドイツ語のBurgが好例であり、ハンブルグ・ヴォルフスブルクなどの都市は「~城」という名前に由来する)、「御間」を名前に持つ式内社を全国で探すと徳島県に御間都比古神社が、唯一あるのみでした。
もしかすると、崇神=「徳島県の御間に他所から入り統治した王」かもしれません。
さらに、佐藤洋太先生は、伊香色謎命の兄・伊香色雄の妻に、真木姫(先代旧事本紀に登場)というものがいるが、頭に「御」をつければ御真木であり、「真木姫=御間城姫であり、つまり伊香色雄=崇神天皇である」という自説を展開されています。
一見突拍子もない説ですが、保留して話しを進めます。
御間城姫の父は通説では、8代孝元息子の大彦(9代開化の同母兄)と言われていますが、日本書紀の異説に開化自身の息子という説があります。その説が正しければ、開化=伊香色謎命、崇神(伊香色雄)=御間城姫であり、開化と崇神は、両者互いに妹を相手に嫁がせている義兄弟になります。
そもそも開化の母は欝色謎命であり、崇神とはお互い従兄弟同士、吉備との戦いで阿波もしくは北九州に一時避難している状況ならば、天皇家が物部氏と距離が近くなる理由も納得できます。

 大和の国譲りはいつ?

ここで、漢風諡号の謎に戻ると、8代孝元で「孝」の字が終わったのは、開化で女系に物部の血統が入ったため、崇神に「神」の字が入っているのは、男系で物部の血統が入った(男系が変わる=王朝交代のため「神」の字を用いた)ため、と個人的には解釈しました。
また、11代垂仁「生目入彦」の生目は、生駒の読み替え説があります。10代崇神で御間=阿波入りかつ男系交替、11代垂仁で生駒=大和入り、説を主張したいです。

和風諡号「日本根子彦」の意味とは?

最後に、和風諡号「日本根子彦」についてです。「日本」は国号ですので「根子」もそれに対応して国名だとすれば、「根の国」が当てはまりそうな気がします。YouTuberのToland Vlogの動画では、火之迦具土神は鬼海カルデラ大噴火の比喩、説が展開されていますが、鬼海カルデラ大噴火の20㎝以上降灰地域に九州南部・四国が当てはまるそうです。昔の風習では、死を忌み嫌うので、20㎝以上降灰地域の四国(阿波を含む)が、スサノオが住んだ「根の国」に比定される可能性を考えます。
和風諡号「日本根子彦」が9代開化で終わる理由は、10代崇神から新たな男系に代わることに関連している可能性を考えます。

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