第1章 23歳で突然のガン宣告。新卒1年目が死を強く意識するまでの記録
私は大学入学をきっかけに、地元北海道から関東に上京してきました。私の大学生活を一言で表すと「何事にも全力」がピッタリな表現だったと思います。学業は経済学部で経営学やマーケティングを学びながら、部活動は体育会柔道部で活動をしていました。なので朝から夕方までは授業を受けて、夕方から柔道の練習に励む毎日が基本的な生活スタイルでした。また隙間時間や部活後にはアルバイトもしていて、居酒屋さん、県の柔道教室の先生、ブライダルなどを掛け持ちしていました。遊びや就職活動も全力だったので、大学4年間の生活は、睡眠時間を除けばフル稼働していたと思います。
大学卒業後、新卒で広告関係のIT企業に就職をしました。大学の3年次に内定承諾をし、大学4年生の1年間は部活と内定先でのインターン中心の生活を送っていました。社会人になる前から即戦力となれるような人材を目指して、日々を過ごしていました。その後、大学を卒業し4月から社会人生活をスタートさせました。会社では4月~9月までの研修の終え、10月から実際に営業活動をスタートさせることができました。
それから4カ月後、突然体に異変が起こりました。
いつものようにデスクワークをしている中で、腰に痛みを感じるようになりました。最初は「ただの腰痛だろう」程度に思っていましたが、次第に仕事にも集中できないほどの痛みがでてくるようになりました。腰から足の先にまで神経の痛みを感じるようになり、歩くことすら厳しい状況になりました。そこで会社を休み、病院に行くことに…。病院ではヘルニアだと診断されました。
安静にしていれば次第に痛みがなくなると言われたので、経過観察していたのですが、一向に良くなることはなく、ついには自力で歩けなくなるまでになりました。そこで、腰の治療に特化している別の病院にかかったところ、ヘルニアだけの症状だけではなく、仙骨に内出血があることが発覚したのです。
後日、専門の医療機関で精密検査をすることになりました。最初の診察では「おそらく良性の腫瘍なので、そんなに心配する必要はないでしょう。」という感じで、念のため検査しときましょうぐらいのテンションでした。検査はその日すぐに行われたのですが、これが結構痛かったです(笑)。ベットにうつ伏せで寝て腰に麻酔をまず打ちます。そして腰骨の奥にある腫瘍を一部取り除くために、腰に小さな穴をあけていきます。これがもう痛いし、骨を力づくで貫通させているのを音で感じてとても怖かったのを覚えています。ここから検査結果が出るまで数日待つこととなりました。
検査結果が出るまでの数日は一睡もできないほどの痛みに襲われる毎日でした。腰から足にかけて激痛がはしり、食いしばったり声を出していないと痛みに耐えられないほどでした。もともと柔道をしていて痛みに強かった私ですが、この時ばかりはつらかったです(笑)。自分ひとりでは一歩も動くことができないため、家族が交代して毎晩付き添ってくれました。もちろん痛みもつらかったですが、精神的にも苦しかったです。自分の考えの中には「家族を支える立場になる」という意識が常にありました。体力をつけ、知識をつけ、精神的に成長し、この先何があっても支えられる存在になりたいというのが日々の原動力となっていました。ところがこの時は自分一人では何もすることができず、迷惑をかけてばかりの状態になってしまいました。そんな無力な自分に「情けないな~、かっこわるいな~」って気持ちがありました。
そして数日が立ち、いざ検査結果を聞きに行くことになりました。診察をするときには家族も同席してほしいと病院側に言われ、両親や姉も同席しました。そして診察室で悪性腫瘍であることを告げられたのです。医師からは「珍しい病気です。しかも腫瘍は取り除くことができない腰の奥の方にある。足と腰の一部を切断して取り除くことも検討はできるが、その後の人生を考えると現実的ではないので、手術はできない。また肺への転移も見られるため、治すことはかなり厳しいと思ってください。針の穴に糸を通すくらい難しいことだと思います。」と言われました。
正直、びっくりとか落ち込むというよりは「おもしろい」と思ってしまいました。こんな珍しい病気に自分が選ばれるのが奇跡すぎて、なんかすごいなと感心してました。病気を告げられた後も実感がなく、ドラマのワンシーンを見ているような感覚で不思議な気持ちでした。
そして、強力な抗がん剤治療を一刻も早く行う必要があるということで、その日にそのまま入院をすることが決まりました。薬の影響で子孫を残すことができなくなる可能性があるといわれ、何が何だかわからないまますぐに産婦人科に行き精子凍結保存を行いました。家庭を築くことが1つの夢であったため、その判断に迷いはありませんでした。そして翌日から抗がん剤治療を開始することとなりました。
<時系列と起きた出来事>
2021年1月21日
デスクワーク中に腰に痛みを感じる。
腰に激痛が走り、どの体制でも腰が痛くなる。
1月22日
痛みで椅子に座ることすらできなくなる
太ももの裏がつった感覚になり、足を延ばすことも困難に。
1月23日
整形外科に行き、椎間板ヘルニアと診断される。
レントゲンを撮り、保存療法の為痛み止めの薬をもらう。
2月初旬
痛みが引かないため、再び別の病院に行った。。
脊髄専門の整形へ行き、MRIとCTを取った結果、骨盤内に液体が見つかったため、腫瘍整形に案内される。
痛みが増す一方で、歩くことすらできない。歩こうとすると太もも裏、ふくらはぎ裏に激痛が走る。また、右下半身にしびれや麻痺がおこる。
2月中旬
再度MRI、造影剤CTをとり、腫瘍が見つかる。
腫瘍の一部を取り、病理検査を行った。
そして、病理検査の結果がでた。
診断名は「仙骨ユーイング肉腫+肺転移」というものだった。
簡単に言うと、仙骨の骨に悪性腫瘍があり、さらに肺に転移が見られた。
この病気は日本で年間40人程しか発症しない希少ガンの一種だった。さらに肺への転移が見つかったため、3-5年生存率が20~30%程度の病気であることがわかった。
肺への転移も見つかっているため、本日中にも入院をし明日から抗がん剤治療をしたほうがいいという指示を医師から受けた。そのため、すぐに産婦人科に行き精子の保存凍結を行い、入院することとなった。
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