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ちゃんやまの人生を10年単位で振り返ってみて、そしてこれからの10年を考えてみた<20代、30代編>

どうもです、ちゃんやまです。

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今回は、今年51歳になるちゃんやまが、過去を10年単位で振り返りつつ、これからの10年を考えるというお話です。

1~20歳はほぼガキんちょと学生時代なので省きます。


20歳からの10年

20代の最大の事件のひとつは、やはり大学中退ですかね。

特に大学行きたかったわけではなく、どちらかというと専門学校に行って、すぐにでも就職したかったんですが、一族の猛反対に合い、仕方なく受験した感じだったので(一浪しました)、案の定、2年であっさり辞めちゃいました。当時の自宅から電車で1時間以上もかかり、小遣いも月2万円と少なかったので、夜間ファミマでバイトしてたのも理由のひとつです。

寝る時間無いじゃん。笑

最初はわずかな睡眠時間と電車の中で寝ながらなんとか通ってましたが、まあ続きませんよね。

だんだん大学から足が遠のき、気が付けばバイト一本となり、たまにクラスに顔を出せば拝まれる希少種となってたので、授業も受けないなら卒業も無理ってことで止めちゃった感じです。

この頃、付き合ってた2学年先輩の彼女とも別れました。

辞め方が分からなくて、大学の受付で「済みません、止めたいんですが、どうすればいいですか?」って聞いた時には驚かれたのをよく覚えてます。

その後はファミマのバイトを辞めて、大学時代に紹介してもらったクレカ会社でバイトすることになり、それから約10年間働いてました。

その時に出会ったのがWindows95です。

友人の口車に乗り、なぜか自作PCで始めたんですが、毎日ネットサーフィンをして遊んでいたのが、まさか自分の仕事になるとは思いもせず。

4年後の1999年頃に最初のホームページの土台を作成して、2000年からはWindows2000を導入し、本格的に収益を上げるまでになりました。

それが20~26歳の頃です。

それからは売り上げもどんどん上がっていったので、開業届を出し、知人の紹介で税理士事務所と契約。

クレカ会社のバイトは辞めないまま、会社からの給料約30万円(朝8時から夜20時まで労働)をもらいつつ、自宅に帰ってパソコン作業して日々を過ごしてました。

なんでそんなにフルで働いてたかというと、実は借金があったからです。

ちなみにギャンブルじゃないですよ。

当時はパチンコもやってましたが、僕はパチンコはほぼ負けないので、パチンコで借金を作ったことはありません。

なににお金を使ったかというと、主に洋服です。

20代の頃はとにかく女子にモテたくて、モテるためにはお洒落は必須という浅はかな考えから、メンズノンノなどで研究しつつ、クレカで少々高い洋服を買いまくってた痛い男でした。

気が付けばリボ地獄の自転車操業状態。

支払いが遅れたことが無かったので、その頃使ってたカード枠が今じゃ謎に400万円になってます。笑

月の支払いも15万円くらいになってて、家にも毎月10万円入れてたので、月収30万円稼げるからバイトも辞められなかったんですよね。

でも小遣い5万じゃお洒落も出来ないし、飲みにも行けないので(贅沢野郎なんです)、まずは借金を何とか前倒し返済しようと思って始めたのが自営業のスタートでした。

もう必死でしたね。笑

受験勉強以上に毎日集中してネットのこと勉強しました。

でもお蔭で、HTMLやJavaスクリプト、ページのソースを見るとかブログへの理解が深まったので、パソコンスキルやネットリテラシーに関しては、同世代よりずっと詳しくなったし、それが今にも生かされてます。

そんなわけで、20代の頃はなんか色々とガムシャラにやってました。

朝から晩までバイトし、帰宅したら自営業をし、友人と飲みにも行き、お洒落で借金を膨らませ、それを必死で前倒し返済(半年で出来た)。

順調に就職して働き始めた友人たちを横目に、そんな20代を過ごしておりました。


30歳からの10年

20代の大きな事件、イベントは大学中退や自営業スタート、借金返済でしたが、30代でも色んなことがありました。

まずは、今の奥さんとなる彼女との出会いと、運転免許の取得(原付は持ってた)、そして父親が脳梗塞で倒れて入院生活、祖母の他界、伯父が脳梗塞で倒れて入院生活、伯母が寝た切りで老人ホーム生活、引っ越し、仕事のパートナーの借金地獄、離婚した母親の金の問題などなど。

30歳の誕生日を迎える年に彼女と付き合い始めたんですが、なんだか激動の10年の始まりでもありました。

一番大変だったのが父親の入院後、相次ぐかたちで祖母が他界したり、伯父が倒れたり、寝たきりになってた伯母を老人ホームに入れたりで、運転免許を取得して買ったばかりの車でまず行ったのがだいたい病院や葬儀屋という、ドライブを楽しむにはちょっと寂し気な車デビューでまあ大変でした。

伯父は東東京に住んでたんですが、下道で行くとめちゃくちゃ時間かかるので、首都高使ったんですが、初心者マークだったんで、ほんと運転鍛えられたと思います。笑

地方から来る人は東京の道路怖いっていいますもんね。

伯父には子供がいなかったので、祖母の葬儀ことも含めて全部僕が手続きやら、病院へ洗濯物を持っていったりとか全てやらねばならず、せっかく彼女が出来たのに、毎週病院や老人ホーム巡りでまあ大変でしたね。

子供の頃からずっと可愛がってもらってたので、恩返しだと思ってやってましたが、さすがにバイトとの両立は困難なので、父親が倒れたタイミングで10年務めたクレカ会社のバイトを辞めました。

これでいよいよ自営業一本です。

引っ越しもしました。

もし父親が退院したらバリアフリーじゃないといけなかったので、ひとりでやるのは大変でしたが、若くてまだ体力もバリバリだったので、なんとかなりましたね。

そしてもうひとつ大変だったのが離婚した母親の存在です。

僕は実はハーフでして、母親は離婚後に祖国に帰国したんですが、そこでは健康保険がめちゃくちゃ高いらしくて払っておらず、そんな時に糖尿病にかかってしまい、お金がないから送ってほしいと電話が来たんですよ。

最初のうちは母親の兄である伯父に連絡して都合してもらってたんですが、さすが額が大きいので、一応稼ぎのあった僕も何とか工面して、結果的にっ総額400万円くらい海外送金してました。

当時の僕は月商300万円くらいで、アフィリエイトなどで稼いでたので経費は殆どなかったため、なんとか送金することが出来ましたが、気分は最悪と言えましたね。

僕が高校の時に離婚して、妹の世話もろくにしてないのに、今さらなんだよって思ってました。

もう故人なので今は何も思いませんが、当時はまだ若かったので、ほんときつかったです。

それと仕事のパートナーですね。

主にシステムやサーバーの管理を任せていたんですが、こいつがまあ金にだらしないやつでして、すぐ「家賃が払えないから貸してほしい。ちゃんやまにしか頼めない。」って来るんですよ。

母親から、仕事のパートナーからダブルで金の無心はさすがに萎えました(しかも金を無心するときの追い込み方も同じ)。

まあそれでも貸したり送金する余裕があったので、心が折れることは無かったですが、ストレスはかなり溜まってたので、飲みにはよく行ってました。

仕事は順調だったものの、そんなこんなでバタバタな10年を過ごすこととなり、婚期は完全に遅れてしまいました。

それでも付き合ってくれた彼女には申し訳ない気持ちと感謝の気持ちでいっぱいでございます。

30代の10年の間に、祖母、父親、伯父、伯母、母親と失くし、あることで仕事のパートナーとも縁を切り、東日本大震災などもありましたが、まあそれなりに楽しみながら過ごせてきたし、なによりお金が沢山出ていきつつも、お金に困ることが無かったのはよかったかなと、振り返ると思うところです。

でも旅行とかね、もっと色々やりたかったなというのはあります。

まあなにしろ体が元気だったですね。

若いってやっぱり武器ですわ。


というわけで、20代と30代の10年を振り返ってみました。

もっと色んなことがあったんですが、それを書き始めると本が1冊出来上がってしまうので、かなり端折りつつ、40代以降はまた来週書きたいと思います。

これ読んで面白いか分かりませんが、ちょっとでも面白く感じてくれたらハートボタンポチっとお願いします。

それではまた来週。


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