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短編【笑う人影】小説

「すみません。今日も使わせて頂きます」
「いやいや、いいよ。でも、ここんとこ毎日じゃないか。大丈夫?顔色悪いけど」
「はい。大丈夫です」
「近々、単独ライブでもするの?」
「いえ、そういう訳じゃあ」
「…そう。稽古熱心なのもいいけど、程々にしろよ。ホント、体調悪そうだから」
「はい」
「じゃ、俺、二階にいるから終わったら声かけて」
「ありがとうございます」

そう言ってジブリ漫談師、となりのトト郎は元気なく頭を下げて劇場へ向かった。時刻は22時半。演芸ホールはとっくに閉館して本日出演の芸人たちやスタッフたちも皆帰った。残っているのは館主の俺だけだった。

となりのトト郎は芸歴八年で、もともとは『オマーン国際女子マラそん』という下ネタ至上主義の芸風が売りの漫才コンビだった。劇場では大いにウケていたが、コンプライアンスを無視した笑いはテレビ、ラジオ、動画配信あらゆるメディアには適していなかった。トト郎はメジャー意識が高く、下ネタをするにしても、もっとソフト路線にできないかと相方の秋葉あきば晋二しんじに頼んでいた。結局、その軋轢が原因でコンビは五年で解散、トト郎は本名の鈴木すずきみのるから名を変えジブリ漫談師としてピンの芸人になった。

秋葉あきばの方は、解散後一年で三回もコンビを変えた。とにかく粗暴で道に落ちている石ころにも悪態をつくような男で、誰一人、秋葉に馴染む者はいなかった。温和で従順なトト郎だったからこそ『オマーン国際女子マラそん』は五年も持った。秋葉は酒場で半グレ集団と喧嘩をして死んだ。

とくにジブリ映画のファンでもなかったトト郎は一年かけてジブリ作品を研究して『ジブリあるあるフリップネタ』『もしも宮崎駿が◯◯だったらシリーズ』『風邪の時のナウシカ』などのネタを次々と発表して、少しずつテレビ出演も増えてきていた。

そんな、となりのトト郎が、「閉館したあと、一時間だけ劇場を僕に貸して下さい」と言ってきたのは三ヶ月前の事だった。メディアに出始めて、少しずつ有名芸人になってゆくトト郎が、古巣の劇場のことを忘れずに頼ってきたことを、俺は嬉しく思っていた。

トト郎の父親も芸人で、この劇場の板を踏んでいた。父親は芸道半ばで死んでしまった。生まれた時からトト郎の事を知っていたので俺はトト郎のことを息子のように思っていた。

そういえばテレビでしかトト郎の芸を観てないな、と気付き、俺は階下の劇場へと降りた。正直、ジブリ映画の事はよくわからないし、今のトト郎の芸も還暦前の俺には面白いとは思わない。秋葉晋二と組んでいたときの、あの強烈な毒気のある芸が俺は好きだった。

俺は劇場の重い扉を押した。ステージだけ照明が当たりトト郎が一人、サンパチマイクの前に立ち誰も居ない薄暗い客席に向かって唾を飛ばす勢いでまくし立てていた。

テレビで観た芸ではなかった。

それは、『オマーン国際女子マラそん』時代の毒気の強すぎる漫才を独り話芸の漫談にまとめ上げたものだった。トト郎の目は血走り、口角には泡がたまり、際どい刃物のような言葉を次々と吐き飛ばしていた。

その鬼気迫るトト郎の姿に、笑い声が巻き起こっている幻聴を覚えた。

いつ息継ぎをしているのか分からないくらい早口で言葉を畳み掛けるトト郎の顔が上手かみてに向いたとき、俺と目が合った。だが、トト郎は漫談を止めずに喋り続けた。俺から目を離さずにがなり続けた。その目は俺に何かを訴えていた。

助けてくれ。と言っている。何故か俺はそう思った。

そのうち。

客席の前列のど真ん中に、うすらぼんやりと人影が見えた。その人影はゆっくりと濃くなった。それは秋葉あきば晋二しんじだった。殴り殺されたはずの秋葉晋二だった。やがて、他の客席にも、ひとつふたつと影が現れた。

トト郎は苛烈な言葉を吐き続けた。やがて、声はかすれ何を言っているのか分からなくなった。それでもトト朗は喋る事を止めなかった。

いつしか客席は影で満員となり最高に下品で極上に醜悪な笑い声が劇場を揺らしていた。




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