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aoming
60歳のおじいちゃん
とある企画で、私はインタビュアーを務めている。
とあるメディアのようなものに掲載されるコンテンツで、私はそのコンテンツの制作のために準備をし、インタビュー行ない、記事化する。
インタビュイーに名刺も渡すし、挨拶もするけど、自分自身のキャリアやプロフィールを話すことはない。
先日のインタビューでは、お相手はとてもチャーミングでしっかりした、とある企業の若手社員。
日本の企業やそこで働く若者を心配する大人たちは多いけど、実際に話を聞くと、この国はどちらかというと良い方に向かっていて、私自身が若い頃より、ずっと努力を重ねたしっかりした人たちが、世の中のエンジンになってきているなと感じる。
もっともそこには企業による差や、個人個人の差というものはあるのだが。
実際にインタビューを始める。レコーダーを回し、録音されていることを確認する。カメラマンがシャッターを切ると、ストロボが光る。
若手社員は今の仕事のこと、異動の前に軽験したこと、学生時代のこと、それから驚きのキャリアなどを話してくれる。
自分の娘とほぼ同い年のその社員の話を聞きながら、彼女がきちんとした両親の下で、ちゃんと育てられたんだろうなぁなどと考えている。
「そうですね、若い人から60歳のおじいちゃんまで・・・」
そこでレコーダーではなく、自分の頭のボタンを一時休止する。
そうか。60歳はおじいちゃんなのだ。この人は私を60歳のおじいちゃんと認識しているのだろうか。
話は進み、素敵なエピソードが紹介される。
良い話になりそうだなと思いつつ、「60歳のおじいちゃん」が頭から離れない。
60歳も、おじいちゃんも、真実ではあるのだが。