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待ち人に出会った女性 ~現場監督が考えたこと~

小樽の冬の工事現場。
女性の姿を見かけることは稀でした。
でも、ルカの福音書に出てくるアンナという女性の話は、不思議と心に残ります。
当時、私はまだ信仰を持っていませんでしたが、今振り返ると、彼女の生き方に教えられることが多いんです。
ルカの福音書2章36-38節にこうあります。
「また、アンナという女預言者がいた。...夫と七年間暮らしたが、やもめとなり、八十四歳になっていた。彼女は神殿を離れず、断食と祈りをもって、昼も夜も神に仕えていた」
現場では「段取り八分」という言葉をよく使いました。
準備が大事だってことです。
段取りが良ければ待ち時間が少なくてすむ。
クリティカルパスを最小にする例の手法です。
でも、アンナの「待つ」は違いました。
彼女は救い主を待ち望んで、実に何十年。
そう思うと、冬期作業で待機している数時間なんて、大したことないですよね。
私は46歳で妻を失い、一人暮らしを始めました。
アンナも若くして夫を亡くし、独り身を通したそうです。
当時の私には分かりませんでしたが、彼女は孤独を神様との深い交わりに変えていった。
そこに、今の私は深い知恵を見ます。
上下水道工事の現場で、地下の配管の流れを見極めるのは重要です。
でも、アンナは人生の深いところで、神様の計画の流れを見極めていた。
そして、幼子イエスに出会った時、すぐにその価値が分かった。
私が67歳でイエス様に出会うまで、ずいぶん回り道をしました。
でも、アンナの話を読むと、あの頃も神様は私を見守っておられたんだと思えます。
アンナの生き方から、何を学べるでしょうか?

  1. 人生の空白期間はない :工事の養生期間が必要なように、待つ時にも意味があります。

  2. 心の目を開く: 地下の配管を探知機で確認するように、霊的な現実に目を向けることが大切です。

  3. 出会いを証しする :現場での朝礼のように、恵みを人に伝えることには意味があります。

今、80歳の私は思います。
アンナは待つことに「ムダ」を感じなかったのでしょう。
神殿で過ごした時間が、イエス様との出会いを確かなものにしていった。
現役時代、工期に追われて見失っていた大切なものを、アンナの物語は教えてくれます。
時には寒風吹きすさぶ中での作業もありました。
でも、アンナのような信仰があれば、もっと違った見方ができたのかもしれません。
皆さん、待つことに疲れていませんか?
アンナは教えています。待つ時間は、決して無駄ではないと。
「心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りに頼るな」(箴言3:5)(聖書 新改訳2017)

聖書 新改訳2017

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