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信仰生活の挑戦

皆さん、お早うございます。
今日は「狭い門」というテーマでお話ししたいと思います。
私たちの人生には、さまざまな選択肢が存在します。
しかし、キリスト教の信仰においては、その選択が時に厳しいものであることがあります。
イエス・キリストは、マタイの福音書7章13-14節でこう語っています。「狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広く、そこから入って行く者が多いのです。いのちに至る門はなんと狭く、その道もなんと細いことでしょう。そして、それを見出す者はわずかです。」
この言葉は、信仰生活が決して楽なものではないことを示しています。広い道は多くの人々が選ぶ道であり、一見すると楽で魅力的に見えるかもしれません。しかし、その道は滅びに至る道であるとイエスは警告しています。一方で、狭い門は見つけるのが難しく、通るのも容易ではありませんが、そこにはいのちがあると約束されています。


マタイの福音書 7章 13〜14節聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

聖書箇所:マタイの福音書7:13-14


この箇所は、イエスが山上の垂訓の中で語った言葉の一部です。
イエスは、信仰の道を歩むことの難しさと重要性を強調しています。
広い道は、世俗的な価値観や欲望に従う道であり、多くの人々がその道を選びます。
しかし、その道は最終的には滅びに至るのです。
一方で、狭い門は、神の御心に従い、自己を捨ててイエスに従う道です。
この道は、困難や試練が伴うかもしれませんが、そこには真のいのちと平安があると約束されています。

信仰の道を歩むことの意味


信仰の道を歩むとは、単に宗教的な儀式や習慣を守ることではありません。それは、イエス・キリストを心から信じ、彼に従い、彼の教えに従って生きることを意味します。
この道は、時に孤独で困難なものかもしれませんが、そこには神との深い関係と、永遠のいのちという約束があります。
イエスは、この道を選ぶ者が少ないと言っています。
それは、この道が容易ではないからです。
しかし、この道こそが真の自由と喜びをもたらす道なのです。

実践的応用


では、私たちはどのようにしてこの狭い門を通り、信仰の道を歩むことができるのでしょうか?

  1. 自己中心的な生き方から神中心の生き方へ転換する

    1. 私たちは、自分自身の欲望や利益を優先しがちです。しかし、信仰の道を歩むためには、神の御心に従い、自己を捨ててイエスに従うことが必要です。

  2. 日々の生活で神との関係を深める

    1. 祈りや聖書の学びを通して、神との関係を深めましょう。神の声に耳を傾け、彼の導きに従うことが大切です。

  3. 試練や困難に直面しても信仰を貫く

    1. 信仰の道は平坦ではありません。試練や困難が訪れることもありますが、それらを通して私たちの信仰は鍛えられ、成長します。

  4. 信仰の仲間と共に歩む

    1. 一人で歩むのは難しいものです。教会や信仰の仲間と共に歩むことで、互いに励まし合い、支え合うことができます。

結び


「狭い門」を通ることは、決して容易なことではありません。
しかし、そこには真のいのちと平安が約束されています。
皆さんも、この狭い門を通り、イエス・キリストに従う道を選んでみませんか?
その道は、困難が伴うかもしれませんが、そこには神との深い関係と、永遠のいのちという素晴らしい祝福が待っているのです。
今日も、神の導きと恵みが皆さんと共にありますように。

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