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ヘロデの恐れ

私たちの心には、時に恐れや不安が忍び寄ることがあります。
そのような感情が、どのように行動に影響を与えるのかを考える上で、聖書の「ヘロデ王」の物語は重要な示唆を与えてくれます。
今回は、ヘロデの反応を通して、世俗の権力と神の計画の違いについて深く見つめていきましょう。


権力者ヘロデの反応

聖書の中で、ヘロデ王はユダヤの支配者として登場します。
彼の支配はローマ帝国の後ろ盾に支えられたものでしたが、彼自身の内心は常に不安と恐れで満たされていました。

イエスが誕生したとき、東方から博士たちがエルサレムを訪れ、「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおられますか?」と尋ねます(マタイ2:2)。
これを聞いたヘロデは驚きとともに恐れを抱きました。
自分の権力が脅かされると感じたからです。

ヘロデは表向きには博士たちに協力するふりをして、「その子を見つけたら私にも知らせてください。
私も礼拝したいのです」と言います(マタイ2:8)。
しかし実際には、幼子イエスを抹殺しようと計画していました。

ヘロデの恐れは、彼を非常に残酷な行動へと駆り立てました。
博士たちが別の道を通って帰ったと知ると、彼は激怒し、ベツレヘムとその周辺の二歳以下の男児をすべて殺害するという悲劇を引き起こします(マタイ2:16)。

聖書箇所:マタイの福音書2:1-8, 16-18

この物語はマタイの福音書2章に記されています。
この箇所では、ヘロデの行動の背景と、彼の恐れがどのように悲劇をもたらしたかが描かれています。

特に注目すべきは、ヘロデの恐れがもたらした結果です。
彼の行動は一時的には力を誇示するものでしたが、最終的には彼自身の名声を汚し、神の計画に何ら影響を与えることはできませんでした。
イエスの家族は神の導きによってエジプトへ逃れ、救い主の誕生は守られたのです(マタイ2:13-15)。


世俗の権力と神の計画の対比

この物語には、私たちに重要な教訓を与える二つの要素が対比されています。
それは「世俗の権力」と「神の計画」です。

ヘロデの恐れは、彼の権力が一時的で脆弱なものであることを示しています。
彼がいくら自分の地位を守ろうとしても、神の計画を妨げることはできませんでした。
一方で、神の計画は静かに、しかし確実に進んでいきます。
それは、人間の思惑や恐れに左右されることはありません。

ヘロデの姿は、私たちが時に恐れや不安に駆られて間違った判断をする危険性を教えています。
同時に、神の計画がいかに確かであるかをも示しています。

実践的応用

この物語から私たちが学べることは何でしょうか?

  1. 恐れに支配されない
    恐れは、時に私たちを不合理な行動に駆り立てます。何かを失うことへの不安が募ったときこそ、立ち止まり、冷静に考えることが必要です。恐れに直面したとき、神の大きな計画を信じて、心を平安に保つ努力をしてみましょう。

  2. 一時的なものに固執しない
    ヘロデのように、一時的な地位や成功に固執すると、それを守るために過ちを犯してしまうことがあります。私たちは、目に見えるものだけでなく、永続的な価値を追い求めるべきです。

  3. 神の計画を信じる
    人生には不安や困難がつきものですが、それでも神が私たちを導いてくださると信じることで、前向きな歩みを続けることができます。困難の中でも、希望を持って進んでいきましょう。

最後に

ヘロデの物語は、恐れと不安が私たちをどこに導くかを教えてくれると同時に、神の計画の確かさを示してくれます。
恐れに支配されるのではなく、希望を持って歩むことの大切さを、この物語を通して学びましょう。

あなたの人生の中で、恐れや不安を感じたときに、このお話を思い出してください。そして、神の計画を信じて、一歩一歩進んでいく勇気を持てますように。
・聖書は「新改訳2017」から引用しました。


・札幌方面へお越しの節は、一足伸ばして石狩の若葉キリスト教会へお越し下さい。

・皆様のお近くの教会へも是非お出かけください。


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