「スピリチュアル時代に考える - 本当の"つながり"って何だろう?
こんにちは。最近、電車の中でよく目にするのが、スピリチュアル系の本を読んでいる方々の姿です。
「自分探し」「癒し」「心の平安」...これらのキーワードは、現代を生きる私たちの切実な願いを表しているように感じます。
私も以前は、様々なスピリチュアルな考え方に興味を持っていました。
「自分の中の神性」や「宇宙とのつながり」という考え方は、確かに魅力的です。でも、何か物足りなさも感じていました。
そんな中で出会ったのが、聖書のこの言葉です
『神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって、召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。』(ローマ人への手紙 8:28)出典:聖書 新改訳2017©2017 新日本聖書刊行会
この箇所で興味深いのは、「自分の中の神性を見つける」のではなく、私たちの外にいる人格的な神様との関係性が語られていることです。
現代のスピリチュアリティでは、しばしば「自分の中に答えがある」と言われます。
確かにその視点も大切です。
でも、キリスト教の視点はユニークです。
私たちは完璧ではない存在として、完全な愛と義を持つ神様との関係の中で、本当の自分を見出していくのです。
それは時に、自分の限界や弱さと向き合うことを意味します。
でも、そこに自由があるのです。
完璧である必要がない。
なぜなら、既に私たちは愛されているからです。
みなさんは、どう思われますか?
「自分の中に答えを見つける」のと、「神様との関係の中で答えを見出す」のは、どう違うと感じますか?
実は、この「答え探し」は、私たち現代人が抱える「働きすぎ」「孤独」「心の平安」という課題とも深く関連しています。
次回は、これらの身近な悩みについて、聖書が示す意外な視点をお話ししたいと思います。
その前に、みなさんにお聞きしたいことがあります:
日々の生活で「心の平安」を感じるのは、どんな時ですか?
「完璧でなければならない」というプレッシャーを感じることはありますか?
もし神様が本当にいるとしたら、どんな質問をしてみたいですか?
コメント欄でみなさんの思いをシェアしていただけたら嬉しいです。率直な疑問や違和感も大歓迎です。
また、ブログ記事の感想と合わせて、以下のようなテーマについても気になることがありましたら、ぜひお聞かせください
科学と信仰の関係について
現代のテクノロジーと信仰の関わり
日本の伝統的な価値観とキリスト教の接点
みなさんとの対話を通じて、一緒に「本当のつながり」について考えていけたらと思います。