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ひとりでいい。

 一人で良い。
 そんな簡単なことに気がついたのはつい最近だ。
 
 僕は一人っ子で、親も共働きなため、昔から家で一人でいることは得意だった。友達も多くなかったし、活発に外に出て遊ぶというよりは、父のお下がりのMacBookを使ってYouTubeやニコニコ動画を見たり、ゲームしたり、お笑いの録画見たり、基本的に一人でやることが多かった。
 社交性がないわけでもないので、一応中学高校と、友人と呼べる友人がその時にはいたのだが、思えば、その子らと遊ぶより、一人でフラフラしていることが多かった。
 でも、群れているのを見ると少し羨ましくなった。
 だから、高校2年生の時はグループみたいな感じでつるんでいる奴らがいた。
 それでも、一人が好きだった。
 対比だ。群れると反動で一人が好きになる。一人すぎると群れたくなる。常にこうだ。
 高校生の時にバイトをしていたのだが、特にディズニーランドとか頻繁にいく様な人間ではないので、そうそうバイト代を使うところがなかった。
 その頃から欅坂にハマって、ありとあらゆるグッズを買ったり、ライブに行く様になった。それにお金を使う様になった。
 ただ、それでもまだ余る。
 高校生の物欲なんて大したことなくて、今でこそ大きい買い物をしたいという欲求があるが、当時は漫画本一冊買うだけとかで満足していた。
 それで、いく様になったのが映画館だった。
 2016年頃である。
 邦画がかなり豊作だった年、僕は高校2年生でなんのしがらみもなく、毎週、バイト終わりに新宿のバルト9で映画を観た。もちろん一人で。
 誰かを誘うにしても、映画はなんだか一人で観たい。
 正直、一人で映画を観るのは普通だと思っていたのだが、あんまりそうではないらしい。

 だいたいその頃言われる様になったのが「ひとり◯◯」やら「おひとりさま◯◯」だった。
 ひとり焼肉、ひとりカラオケ、ひとり映画など。「普通」みんなですることを一人でやる人のことを揶揄しているのかわからないが、そういう風潮が出ていた。
 僕は中学生の頃から一人で映画館もコンサートもカラオケも行っていたから、なんか馬鹿にされていると思って当時はムッとした。
 でも、世間の大半は(もちろん僕側も大勢いるのだと思うが)一人ではやらないのだ。
 そういうもんらしい。馬鹿にすんな!一人で十分だばーか!と思っていた。

 でも、大学生になって、そこそこ群れることに耐性がついた。
 むしろ、誰かと一緒にいるのが一人より楽しいまであった。
 まあ、通っている大学が特殊といえば特殊だから、通っている学友たちも面白いのだ。話が合うのだ。だから、結構人と過ごす時間がたっぷり増えた。
 一緒にサンシャインのポケモンセンターに行ったり、赤坂の放送局のイベントに行ったり、ライブや映画も人と行ったりする様になった。これは自分でも不思議だった。
 エンターテインメントやショッピングに他人が介入していることがあんまりなかったのに、結構普通にそれをやっていた。

 それで、コロナ禍。
 こうなると人に会わなくて、寂しかった。
 まあだからこういうときだからをやったりしていたのだけれど。
 前回書いた、散歩も一人でした。
 まあ、散歩なんて一人でするものなのだが、なんか寂しくて、一回、ちいちゃんを誘った。近所に住む馴染みだから誘うのも出るのも容易だから誘ったのだが、申し訳ないが、二分歩いたあたりで「一人でいいわ」となった。
 こういう状況になって、だれかと話す機会が極端に減ったせいで、散歩に人を誘うという奇行をしてしまった。
 思えば、映画もこうなってから一人で行っていた。
 あれ、やっぱ一人が好きなんだ。
 大学生になって、人といるのが楽しくて忘れていた。僕は一人属性がだいぶ強い。

 4月の初めに鎌倉に行った。
 誰とも喋らなかったし、イヤホンもしていなかった。
 アプリで電車の乗り換えを調べたり、時刻表をただ眺めたり、車窓をぼーっと見ていたりするだけがずっと楽しかった。
 由比ヶ浜で海を見たかった。それ以外の目的は特になかった。
 その日は快晴で、絶好の海見日和だった。
 砂浜には周りには複数のグループがいた。
 でも隣のグループの声は聞こえないくらい離れていて、ただ存在を確認するのみだった。
 楽しそうに若者たちが三脚に一眼レフを立ててで思い出を焼き付けている。
 僕はただ、ぼーっと三十分くらいしゃがんで波打ち際にいた。
 なにもないし、なにもしなくて、それだけの時間が愛おしかった。
 その前の週に失恋をした。
 その傷心も兼ねていたかと思う。
 誰かと一緒にいたかったという思いはそこにはなかった。
 なんで、付き合いたいと思ったのだろう。
 僕ほど女性との交際に適さない人はそういない。
 それでも、その一人の世界の中で、人のことをちゃんと好きになった。
 それだけで多分、よかったのかもしれないし、伝えられたことが何よりもよかった。
 落ち込んでいたといえば落ち込んでいたが、目の前の海に照りつける太陽がまだ夏ほど眩しくなくて、海風が気持ちよかったからどうでも良くなった。
 お腹がぐーっと鳴った。
 スマホで「鎌倉 しらす」と検索して一番評価の高い店に向かうことにした。
 地図のアプリを起動して、一眼レフのグループを横目に砂浜を後にした。
 豪勢なしらす定食を食べて、新江ノ島水族館に行った。
 カップルや家族連れの中、ひとりで動かないダイオウグソクムシをじーっと眺めていた。
 クラゲのコーナーの説明文が狂っていて吹き出した。
 ひとりでイルカショーを見て、前列で海水を被った少年たちがキャッキャしているのを微笑ましく見てみた。田中くん考案の「阿部寛ごっこ」である。
 出口付近のペンギンとアザラシが可愛かった。
 そういえば、あの人もペンギンが好きだった。
 あの人はここに来たことがあるだろうか。
 僕より放浪力のある人だから全然あるかもしれない。
 あの人も海が好きだった。
 今度は一緒に来よう。抜きにできない感情も一緒に持ってこよう。それでたくさん笑ってもらおう。笑ってやろう。
 
 水族館を後にして、江ノ電に揺られて鎌倉駅に向かう。
 車窓から見た夜になりゆく海はどこか不気味だけど、照らす街灯が海面を照らしてどこか妖艶さを醸している。
 鎌倉について、自分の町へ帰ろうと思った。
 でも、もう一回海が見たくて、江ノ電にまた乗り、藤沢から帰ることにした。
 予報外れの雨が降ってきた。
 その日初めてイヤホンをつける。
 アイドルのラジオを聴きながら、車窓を眺める。
 鎌倉から都会へひとりで帰るのだ。

(文責・加藤)

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