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ランチ・タイムの方便

ご機嫌、如何ですか?
阿合皇一郎です。

11月に入り、通常更新に戻りました。
通常更新回も宜しくお願いします。

今回の作品のタイトルは、「ランチ・タイムの方便」。
あなたは、どのようにランチ・タイムを過ごしていますか。
食事のとり方は、年齢と共に変わって行きますが、ランチ・タイムが、一番、変化するような気がします。
ランチ・タイムに対する意識も変わって行くような気がするんですよね。
俺は、おしゃべりな方なので、せかせかしたランチ・タイムは苦手です。
究極、食べるか話すかの二択を迫られたら、場合によっては、“話す”を選択するかもしれません。

ランチ・タイムに苦痛を覚える方もいらっしゃいますよね。
やっぱり、相性があるんでしょうね。
その気持ちも何となくですが、解るんです。
いたたまれない、と、言いますか、辛いんですよね。
ランチをパッと済ませようと、食べ始めると、今度は、食が進まない。
味覚は、気持ちと連動していて、余計に、辛さが増す。
こんな経験をした事もあります。

おしゃべりのテーマは、「七五三」。
11月15日が、“七五三”と、言う事で、このテーマにしました。
“桃の節句”“端午の節句”“七五三”と、子どもに関する伝統行事は、これで一応、制覇しました。
七五三は、桃の節句や端午の節句とは違い、毎年のものではないので、その分、特別な存在感がありますよね。

子どもに関する伝統行事を調べる度に思うのが、“生”に対する渇望です。
我が子の健やかな成長を希う親の切実な願いを感じずにはいられません。
今とは違い、医療の発達していなかった時代は、ひとつ年齢を重ねる事が、如何に、難しい事だったか、そして、如何に、喜ばしい事であったのか。
今は、医療の発達で、昔と比べれば、理論的には、子どもは成長しやすい環境である、と、言えると思います。
ただ、昔も今も、貧困はついて回ります。
こう考えると、とても切なくなりますね。
その一方で、伝統行事が生きているのは、やはり、子どもの成長は喜ばしい事なのだ、と、心があたたまります。
この記事を読んでいる方で、これから七五三を行う方には、是非とも、あたたかい思い出になるような七五三にして下さい。
家庭の事情で、高価な衣装やご馳走は用意できなくてもいいんです。
普段着のままでも家族が集まって写真を撮れば、それが、思い出になる、と、思います。
そして、その写真は、記録にとどめるだけでなく、形にして欲しいんです。
何時か、それをひっそりと、家族の誰かが見返せるように。

今日はこの辺で。

それでは、近いうちに、また会いましょう。
約束だよ!!
阿合皇一郎でした。

追伸
厚かましいですが、動画でも会えたらな、と思っています。


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