短編小説「見えない彼女 2」
「おはよう」
教室に入るなり、窓際の席に座る彼女に声をかけた。
『…おは…よう』
彼女はワンテンポ遅れて返事をする。
『ごめんね、まだ話しかけられることに慣れてなくて』
申し訳なさそうに微笑む彼女だが、その表情や声からは、数日前にはない明るさがあった。
『おい、また独り言かよ』
不意に後ろから声がした。
振り向くと、あの日と同じクラスメイトが冷ややかな目で俺を見ていた。
『お前、最近おかしいんじゃねーの? ずっと窓の外見てばっかだし。全然人と喋んねぇし、喋ったと思ったら独り言だし。まぁ正直キモイよ、お前』
「あ、そう」
俺は平然として、軽く答えた。
そいつは更に何か言っていたみたいだが、聞いていなくてわからない。
俺は他人にどうみられるかなんて、どうでもよかった。
でも、心配そうにこちらを見つめる彼女の眼差しだけはどうしても忘れられなかった。
その日の帰り道も、俺たちは並んで歩いていた。
『やっぱり…教室で話すのは無理なんじゃないかな…』
俯いたまま、彼女は足を止めた。
「俺のことは気にしなくていいよ」
『でも…』
彼女は、その時と同じ顔でこちらを見上げた。
俺はただ、彼女を見ていたい。今は、笑顔の彼女を。
「大丈夫、俺が何とかするから」
その言葉に、彼女はほんの少し頷いた。
それから、一か月ほど経った頃だった。
俺が彼女と会話を交わす光景はクラスの中で日常となった。
『今、誰かの声が聞こえた気がする…』
ある日の午後、突然、彼女の隣の席の女の子が彼女を指さした。
その子は彼女の方を見つめ、でもそこに何もないことに首を傾げていた。
『気のせいかな…』
俺たちは目を合わせ、言葉なくうなずき合った。
翌日。
『あれ、君誰だっけ?』
昨日女の子が、不思議そうな顔で彼女に近づいてきた。
『え? 私?』
彼女は突然のことに目を丸くしていた。
もちろん俺も同様だ。
『うん、どこかで見たことあるんだけど…』
『私が見えるんだね!』
彼女は席から飛び上がっていた。
『私が見えるんだって!』
彼女は目を輝かせながら、俺に迫ってきた。
「聞いてるよ」
俺は静かに微笑んだ。
『なんか、面白い子。名前はなんて――』
その日を境に、彼女の姿が少しずつ周りの人の目に映るようになった。
彼女の姿がぼんやりと見え始めた生徒が現れ、その数は日に日に増えていった。
『ねえ、あの子って誰?』 『ずっといたの? 気づかなかった…』
クラスの中で、彼女の存在が話題になり始めた。
それから一週間もすると、クラス全員が彼女を認識するようになっていた。 彼女は皆の注目を集め、次第に、人の集まらない時のない人気者になっていった。
ある日の放課後、いつもの帰り道。
街灯が一つ、また一つと灯りはじめていた。
「最近は忙しそうだね」
『そうだね…』
彼女の様子はいつもと違っていた。
「学校は楽しい?」
『…うん。すごく楽しいよ…』
「それはよかった」
『本当に君のおかげだよ。ありがとう…』
彼女は俯いたまま、ぎこちなく口角を上げていた。
その日、西日を照らし返すほどの彼女の笑顔を、見ることはなかった。
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