短編小説「はねるのチち」
『ねー、パパ、遊びに行こうよー!』
横になっている俺の肩を揺らしながら、息子が騒いでいる。
たまの休日ぐらい、ゆっくりさせて欲しいものだ。
『パパも疲れてるんだからー』
妻の声で、脅かされた平穏は無事取り戻された。
しかし、またすぐ。
『パパ、パパ。なんかいるよ…』
今度は肩を強く叩かれていた。
そして、息子はなぜか小声だった。
上体を起こして、息子の示す方に目を向けた。
「あー、バッタか、なんでこんなところに」
俺は再び体を横にした。
「かわいそうだし、捕まえて逃がしてあげな」
『やだ! 怖いよ!』
「こんなのも触れないのか。ほら、こうやって」
俺は、浅緑色をしたバッタに近づくと、簡単に捕まえてみせた。
『パパすごい! どうやったの?』
「これはだな…」
口を動かしながら、ふと昔のことを思い出していた。
あの日も、今日のように真夏の日差しが厳しい日だった。
父は、小学生の俺を虫取りに連れて行ってくれたんだ。
「パパ、暑いよ~」
顔中に絶え間なく浮かんでくる汗を拭いながら、不満を漏らした。
『もう少しだから。ほら、あそこにバッタがいるぞ!』
父は優しく俺の背中を支えながら、バッタが飛び交う草むらを指さした。
「えー、でも怖いよ」
『何もしてこないから大丈夫。ほら、こうやって』
父は軽やかに草むらに近づき、素早くバッタを手の中に収めた。
その姿は、まるでプロの虫取り名人のようだった。
「パパすごい! どうやったの?」
『コツがあるんだよ。音を立てないように近づいて、バッタのお尻の方から急に手を出す。そうすれば簡単だよ』
俺も父のようになりたくて、何度も草むらに入った。
あの父のように…。
『どうしたの、パパ?』
息子は不思議そうな顔でこちらを見ていた。
俺は急に立ち上がって、息子の頭を優しく撫でた。
「よぅし、決めた。遊びに行くか?」
『ほんと!?』
息子の顔が輝いた。
「ああ。虫取りに行こう。パパが教えてあげるから」
『うん!』
俺たちは早速、虫籠だけを抱え外に出た。
息子の小さな手を握りしめながら、ふと空を見上げた。
雲一つない晴れ模様。
俺なんて、まだまだだな。
「おんぶしようか?」
『やったー!』
俺たちは草むらに急いだ。
真夏の強い日差しに照らされながら。