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短編小説「一音惚れ 前編」

どこからの音だろう。

俺は高校からの帰り道、いつものように自転車を走らせていた。
堤防の上は風が強く、耳に入ってくるのはほとんど風切音だけだ。

でも微かに、美しい音が混ざって聞こえてくる。

金管楽器だろうか。
吹奏楽とは無縁の俺には、どの楽器なのかわからない。

ただ素人の俺でも、その ”良さ” だけは確かに感じ取れた。

俺は無意識のうちにペダルを緩めていた。
だが、しばらくすると風にかき消されるように、その音は聞こえなくなってしまった。



あの音だ…。

俺は慌てて自転車を止めた。

翌日、俺は音の源を見つけた。
制服姿のその子は川に向かって土手に座り、またあの美しい音を響かせていた。

彼女が抱える金管楽器が、川下に沈みゆく夕日の光を眩しく反射している。

見覚えのない制服だ。
この辺りの高校ではないのかもしれない。

俺は、風になびく長い髪の後ろ姿をしばらく眺めていた。

『おい、こんなとこで何してんだよ』

いつの間にか、高校の友人が隣に自転車を止めていた。

「いや、なんでもない…。帰ろうぜ」

『なんだよ、夕日にでも見惚れてたか? エモいねぇ』

「うっせぇよ、、、」

彼女の演奏はまだ終わっていない。
でも、これは一人でないとダメだ。

広い土手の小さな背中を横目に、友人と自転車をこぎ始めた。

『でさ、今日――』

友人はずっと喋り続けていたが、俺はまるで聞こうとしなかった。

ただ、美しい音色が耳に届かなくなるまで、心はあの場所に残されたままだった。




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