短編小説「あの日の冷やしパイン」
祭りの喧騒が鼓膜を刺激する。
多くの屋台が立ち並び、浴衣姿の人々が行き交っている。
やはり祭りは、こうでなくては。
『冷やしパインはいかがですかー!』
屋台店員の元気な声で俺は足を止めた。
「1つください…」
『1つ! ありがとうございまーす!』
冷たいカップを受け取り、一口食べた。
甘酸っぱい味が口の中に広がる。懐かしい味だ。
ふと、5年前の夏祭りの記憶が蘇った。
あの日も、こうして冷やしパインを買っていたんだ。
でも、その時は2つ。
『ね、これ食べようよ!』
隣で楽しそうに微笑むクラスメイト。
俺は、密かに思いを寄せていた彼女を、ようやく祭りに誘えたんだ。
浴衣姿の彼女は格別に可愛かった。
もう、何も考えられなくなるほどに。
彼女は嬉しそうに冷やしパインを頬張っていた。
俺は緊張のあまり、手に持ったまま食べ進められないでいた。
『ねぇ、食べないの?』
彼女は、俺がまだ一口食べただけの冷やしパインに小さくかじりついた。
「おい、ちょ、ちゃんと食べるって!」
俺は彼女から冷やしパインを引き離すと、残りを一口で食べきった。
冷たさも甘酸っぱさも感じない。ただ心臓の鼓動だけが体の中で響いていた。
俺たちはその後も祭りを満喫し、帰り路を歩いていた。
『楽しかったね! お祭り!』
「うん、楽しかった…」
俺は彼女に言わなければいけない言葉があった。
それは、こんな祭りの感想なんかじゃない。
3文字…。たった3文字なんだ…。
「あのさ…」
『お客さーん? お客さーん! どうかしました?』
店員に肩を揺らされて、俺は我に返った。
「あ、すみません…大丈夫です」
手の中の冷やしパインが、すっかり溶け切っていた。
気づけば、俺は屋台の前でぼんやりと立ち尽くしていたようだ。
俺は早足にその場を後にした。
気づけば夜になっていた。
俺は無意識に、彼女と歩いたあの路を、冷やしパイン片手に帰っていた。
ああ、また思い出がよぎる。
あの時、もっとこうしていれば、勇気を出していれば…。
夏の夜風が頬をなでる。あの夜と同じように。
ふと足を止めると、そこはあの日、別れた場所だった。
『誘ってくれてありがとう。楽しかったよ! じゃあね!』
街灯の下で、彼女が最後に振り返った表情を忘れられない。
俺はその場で、残った冷やしパインをゆっくりと味わって食べた。
一口目以外はこんなものなのか、はたまた、暑さで傷んでしまったのかもしれない。
あの日の冷やしパインも、こんなに、ほろ苦かったのだろうか。