不謹慎かも知れませんが……
親殺しや子殺し
不謹慎かも知れませんが、後学のため書き留めておきたいと思います。
引き続く親殺しや子殺し。舞台上のお話ではありません。どうも尊属(とはもう現在では呼びませんが)や自らの子供に手をかける人々は、社会の中で追いつめられて来たのだと思います。
罪と罰
もちろん、裁くのは司法のお仕事ですし、三面記事や週刊誌を買って読む人がいる限り番記者のお仕事もなくなりません。罪と罰という関係で言うと、更生できるかどうかという視点のようですがその前に下される社会的制裁を裁判所までが情状酌量の要素にしている節もあります。
ひとつの大事故には百のヒヤリ、千のハットがあるといいます。いまも水面下で傷害事件とか心身への暴力が絶えないことは、決して予測不可能ではなさそうです。
情報マーケット化する関係性
では、関係者・当事者を心理的に追い詰める材料は他に、どこに存在するのでしょうか。事件を起こす宣言をして他人に背中を押され自らも後に引けないというネットであれ、もしくはまことしやかに流される親子関係の風説であれ、ネットの記事や書籍に載って流通していますよね。先ほどの三面記事や週刊誌のように「マーケット」が成り立っているのは、想像に難くないでしょう。
背景を見ると
事件の当事者が消費され換金されるという意味では、何ら、社会には自浄作用が認められていないことになるのではないでしょうか。背景には、コミュニティーの崩壊やカルトの横行等によって経験知が断たれてしまっている事情もありそうです。そこには活かされる経験はなく一過的なカタルシスのみ存在しています。
少なくとも私にはそのように見えます。ご覧の皆さんにはどのように現代社会が映るでしょうか。
(了)
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