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独身幼なじみ探し終了(不発)

 幼なじみからお便り。子どももいて幸せそうな暮らしらしい。
生涯独身は聖人君子につきものらしいが、私のような凡夫でもありうる生涯独身。あの人が結婚したころ、私は統合失調症の極期にいた。病は何もかも奪っていく。
 20年前と10年前と今現在の統合失調症をめぐる環境は同じではないと思う。今これから、一人でも多くの統合失調症者が私のような孤独な人生を送らないで済むように、私にもできることがないか。ピア活動はそのひとつで地域への恩返しでもある。
 何回出しても返事が来なかったから、今回一回近況が分かっただけでよかった。寿命が来てしぬまでには知っておきたかった。これでもう、その人について思い残すことはない。これで十分だ。

 ところで。私は生まれつき異性に避けられ続けて現在に至っている。スキンシップというものを知らない。AセクシャルとかLGBTQの方も、肉体的な異性(精神的な異性ではなく)に好かれないことに、何らかの違和感をもっておられるのだろうか。肉体を操るのは脳だから唯脳主義みたいになるが。

 パートナーがいて、適齢期で結ばれて、自分の子供がいて、ってごく平凡なシアワセのかたちだが、そうでない自分はシアワセではないのだろうか。親があきれるということは、私はシアワセではないことになる。独身でも良ければあきれもしないだろう。常識がシアワセを定義した親世代だから仕方ない。
 亡父は口癖のように私に、おまえには生まれつき赤い糸で結ばれている相手がどこかにいると励ましていた。いまはひたすら、認知症なりかけの母の毒気に当てられすごしている。

 こうして考えると、自分って一体何だろう?

 

 今の正直な気分。

 マーラー 交響曲第2番「復活」から第1動機 《こうして英雄は倒されていく》 マーラーにしてもR.シュトラウスにしても、彼らのいう「英雄」とは何だったのか。ともにウィーン世紀末にあって。

 大げさな言い方になるが魂の救済というあり得ないテーマに続いていくのだろう。どうしてもこの先あり得ないことを描けるのが芸術ではないか?

 パートナーがいて、適齢期で結ばれて、自分の子供がいて、ってごく平凡なシアワセのかたちだが、そうでない自分はシアワセではないのだろうか。親があきれるということは、私はシアワセではないことになる。独身でも良ければあきれもしないだろう。常識がシアワセを定義した親世代だから仕方ない。

 お金がいっぱい手元にあったとしても購えないものがある。それは過ぎた時間、過ぎた機会である。 失われたものを嘆くな、今、手元にある能力を生かそう。過去は再構築できなくても、未来を作るしかできることはないのだから。 新たに体験することを先駆者が経験したと嘆くな。 先には未来しかない。

 ようやく夕飯が終わりました。どれだけ家庭を持ちたいか語り親を論難してしまった。ジェネレーションギャップはどこまでも深い。親は親で、おまえが家庭を持ちたいなら私を倒してから行け、とばかりの剣幕。おまけに適齢期に極期だった持病の統合失調症。好きな人達には次々と避けられる。

 ようやく夕飯が終わりました。どれだけ家庭を持ちたいか語り親を論難してしまった。ジェネレーションギャップはどこまでも深い。親は親で、おまえが家庭を持ちたいなら私を倒してから行け、とばかりの剣幕。おまけに適齢期に極期だった持病の統合失調症。好きな人達には次々と避けられる。親はいるけど気づけば独身で50代半ば。我、生の半ばに正路を見失えり。

 仮に私を馬鹿にしてきた人達の頬を札束で張り倒すことができたとしても、過去帳にはそれなりの人物としてしか残らないだろう。もし札束があるなら喜捨、寄付に使おう。功徳を積むのである。

 頭を冷やしに柴犬の散歩に行ってきます。外は氷点下。

 柴犬の散歩から頭を冷やして帰ってきました。 それでもマグマのように沸き立つ想い。 行け、尼寺へ!もとい、行け、修道院へ! 逆にハムレットに対してオフィーリアがそう思っていたかどうかは別として。 これで人生の楽しみのすべてが終わったようだ。 もぬけの殻だ。幼なじみとの縁も……。
 「友よ、喜劇は終わった、拍手を」(ベートーベン)
 いや、喜劇以前に開演中止で私の独身から先の人生は終わっている。もぬけの殻だ。

2023/12/04 ここまで

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