A Hidden Life: 忸怩たる思い
プロローグ、或いは、とある秘め事。
これまでの話
「私」は小中高と地元育ち、日の目を見る事はなかった。
たまに校内テストで首位の成績を叩き出して時々目立つトリックスター
に過ぎない。向学心だけは一端にあった「私」は大学、修士と進んだが
あるとき父にオーバードクターは食えないから畑違いの就職をせざるを
得なかった。これがケチのつけはじめだ。家系の違いはいままでに至る
「私」の人生に暗い影を落とし続けた。これが未婚、子なし、育ての家
人と犬一匹という末路に通じている。
父のような終身雇用論者がいなくなってから私は前職で得てしまった
精神障害を足がかりに障害者雇用に挑み、就労移行支援事業所の紹介
で、大学の図書館の障害枠で勤めることに選ばれた。
今頃になって役所なんか勤めさせず学問を続けさせれば精神を病まず
に済んだかも知れない、と母が頭を抱えた。母のせいではない。
家の事情だ、貧富の差が呪わしい。
先日、大学の恩師を囲む会に30年ぶりに呼ばれたが後述の通り、かごの
外の人生だった事に「私」は気づき非常に悲しい、やるせない思いをし
ている。
先日、二回にわたって大学と院の恩師、そして仲間達とパーティーであってきた。
仲間達は先生の退官記念にエッセイ文集を出版していた。
執筆者紹介を見て思った。
あれ、パーティーに呼ばれた人達のなかで、執筆の声もかからなかったのは、私だけじゃなかったか?
先ほど読み直してそう思った。そう、この記事はその補遺、番外編として書かれている。読者諸氏、そのような了解で良ければそれでお話を進めます。
私は「柴山 晴」というペンネームを使っている。実名を名乗るには忸怩たる思いがプロローグの通りある。仲間内でこれほど浮き沈みの激しい人生の持ち主も居るまい。
私というひとりの人間が受け持つには、あまりにも荷が重すぎた。腰をやられるように私は精神をやられた。
前々職の内容については身バレするため、精神衛生上、少しずつ揺り起こすつもりである。珪土に吸わせないニトログリセリンは少しの衝撃で大爆発を起こす。合成したてのニトログリセリンに性状はよく似ている。
センシティブなのである。
三つ目の職場で、定年まであと10年と少し。もう冒険はできない。障害を得てしまった身にとって、就労移行支援事業所での一年間はまさに、身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれという一年間だった。若かった。
この数年間で老け具合が幾何級数的に上昇した。後輩に指摘されるまで気づかなかった。歳といえばうちの母は傘寿を目前にしている。私も還暦まであと少しだ。N響定期公演に毎回通っていたのも鬱のせいか、二回に一回という具合になっているが、来年度のプログラムを見て思った。
「来シーズンを聴き通すには健康に自信がなくなった。もしかしたらこれが最期か。」
このように『最後の一葉』よろしく衰えていっている。
そうして自然に消えていく前に、先生やゼミのOB/OGに会えただけでも良かった。書く喜びは誇れる経歴のある人達の特権だ。私のような隠遁生活者には、生きているうちは日の目を見ることもない。
ちょうど、『未完成交響曲』のシューベルトよろしく、「 我が恋の終わらざるごとく この曲もまた終わりなかるべし」と、私も我が人生の夢も見終わらないようにまた、この著作も未完に終わるだろう。
私がいなくなってから、「膝を突き合わせて話してみたかった」、そう思われるような人であってもいい。遺言めいていて我ながらあのトリビュート本を見ながら恥ずかしい。
わが忸怩たる思いの人生とはそのようなものである。抜け殻のように果ててしまった半生だった。あと半分は木が木の葉を落として立ち枯れていくようなものらしい。立ち枯れたらそれを焚きつけにして旧交を温めるがいい。その灰で枯れ木に花を咲かすこともできるだろう。殿様の子孫から幸運をもらうがいい。
実に恨み言じみて申し訳ない。まあこんな生き方もあると思ってみてくださりありがとうございます。
2024/01/29 その2 ここまで