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2025/02/07 Children, be “ambitious!”中学受験今昔
おはようございます🙏
要約
中学受験をめぐる親子の姿は、時代とともに変化しています。バブル期には、進学塾が盛んになり、私立中学受験が一種のステータスシンボルとなりました。
しかし、著者は、自身の経験から、中学受験が必ずしも子供の幸せにつながるとは限らないと訴えます。著者は、幼少期にいじめを受け、公立学校では教師から見捨てられ、その後も精神疾患に苦しむ経験を語り、中学受験が子供の人生を左右する封建的な社会構造を批判します。
現代では、不登校を選択できるなど、子供たちの選択肢は増えているものの、それでも多くの子供たちが苦しんでいる現状を憂い、若い命を貪食するモンスターのような社会構造に警鐘を鳴らします。
本文
その時代によって同じイベントに向ける視線、向かう姿勢、求める望みは変化していく。社会環境の変化も影響する。
それは中学受験をめぐる親子像も例外ではないだろう。
私は50代で今は精神を病んで障害者雇用に落ち着いている。四半世紀勤めた前職では部下もいない。恋人も妻子もない。
いるのは老母と二代目の柴犬だけだ。職業上の後ろ盾だった父は10年前に他界した。退職の時期と符合する。
そんな私にも子供時代はあって、私にとっては諸悪の根源になっている。地域ぐるみで家族ごと攻撃するいじめで、逃げ場はなかった。分譲住宅を買っていたのと、私の強いこだわりの特性が目立ったことも、事態の収束を遅らせた。
時はバブル期の全盛期だった。どの家も富み、こども新聞の広告には進学塾の「人生のグリーン席へ」の文字が踊って諸家庭を私立中学受験へと煽り続けた。
今も昔も公教育現場は最悪の環境である。それを避けさせる親心にも変わりはないだろう。
私というとその後、公立の進学高校から当時の貧しさゆえに予備校に通えず一浪して私大と院を修了したが、就職先が見知らぬ土地だった。そこで発症した積年の重症対人恐怖症があり、それが隠していたのは妄想と幻覚を伴う統合失調症で、予後不良だ。
どう劣悪かと言うと、公立小の先生は役人根性丸出しで、私学進学希望の子が自分の昇進にプラスになるのがわかっていて、私のようないじめられっ子が縋りついても親子ごと突き放し続けたのである。私を投げ飛ばそうがみんなの前で尻を叩こうが父母会で良い顔する悪魔でもあった。
同級生で医師がいるが、私が外来で出くわしたとき、彼は腕乗せ台を間に置いて私に診察拒否してきた。それと、別の幼なじみの同級生は私に、郵便送らないでくれともうすぐ二十歳の子がいることを告げてきた。つまりどれだけ私が地域で一方的にないがしろにされてきたか、その証明である。
郷里にはたとえば親が都職員か市職員かでその子の前半生は良くも悪くも左右される。その「身分違い」で私は幼なじみといっしょになれなかった。痛恨の極みである。
私の故郷はその程度の民度でしかなかった。今もそうだろう。
大事だから繰り返すが子供達はここ一番というときの親の地位でその後の人生まで左右されるという典型的な、封建的な社会だという印象が強い。
さて、歳の離れた妹は父の出世に合わせて短大卒、上場企業に就職したが適応しきれず派遣に転じた。その子も特性が強くて公立小で登校拒否、私立中学受験に成功したものの、詳しくは書けないが人目を避ける引きこもりの生活をしている。
とにかく非登校、不登校を選べるだけで私の頃より恵まれている。それでも命を守りきれない人があとをたたない社会環境とは、若い命を貪食するモンスターではないのか?
今朝は手をつないで受験会場に向かう親子を雑踏で見て、少しは逃げ道が増えた社会がうらやましいという思いを強くした。
2025/02/07 ここまで