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精神科の薬の「ソムリエ」と会うには?

 精神科の薬。処方される側(私たち当事者)も作用・副作用を知っておかないと。
 たとえば日本酒やワインが好きな人はその造り方や味わいについて通であったりする。
 処方された精神科の薬も同じく、銘柄の由来や成分や効き目を知っていていいのではと思う。

 なぜ、精神科の薬は嫌われるか。お酒を飲めない人に無理に酒を勧めない。
 でも酒は飲まなければ飲まないで済む。酒は必要がなければ飲まなくてもいいのだ。飲まなければ命が縮むでもない。

 ところで、精神科の薬というのは、飲まなければ症状が悪化して最悪の結果を招きうる点で、酒とは一線を画している。

 精神科の薬も他の薬同様、必要があるから試して合う薬が選ばれてくる。それを判断するのが医師や薬剤師である。試して飲んで、どうだったかを彼らは知りたいだろう。きちんと決められたとおり飲んでいれば、医療を提供する側も私たち当事者からありのままのフィードバックを得られる。それが次の治療に反映される。仮に減薬や怠薬や断薬、オーバードーズをしたとしても、それも治療者は次の治療のため知りたがっているのではないだろうか。

 たぶん、精神とは眼に見える行動(うろうろ立って歩いてもひきこもっても行動の一種)になって現れるため、そこに作用する薬には偏見があっても不思議ではない。

 服用しているあいだ人格が変わるとか治療者にいいように操られているとか、それら偏見が、症状にあった薬にたどり着く邪魔をしているように見える。治療者も同じく人の子、診察では直近の症状をざっくばらんに話せればいい。

 余談になるが、私は精神科の薬を飲んでいるために精神障害者と扱われているわけではなく、病気の長い経過で薬が症状に効いていても、病気の再発(トリガーは人それぞれだが私の場合は感情的な職場が再発のサインを招いた)の都度徐々にできないことが増えていって精神障害を負ってしまった。

 それまでのあいだ、中には無理解な治療者と出会ったことが数回ある。自身の健康にプラスに接してくれる治療者が「薬のソムリエ」なのだと私は思います。

2024/02/25 ここまで

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