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2024年永久歯の旅

はじめに

 エッセイなのか日記なのかわかりませんが、私と永久歯について書いてみます。


私と乳歯:永久歯へのことはじめ

 私が自分の歯を気にし始めたのは、小学生の頃だった。
 学校の歯科検診で、C1、C2、と歯ごとに復唱される声を憶えている。C0というのはついぞ聞かなかった。Cはう歯、カリエスのことだ。いわゆる虫歯。
 おじいさんの代からエナメル質が弱いとはあとから親に聞かされた。永久歯が生えそろうまで、近所の歯科医院とは心ならずも仲良しだった。今ならフッ素化合物を使えるらしい。そういうものも身近になく、チェアに座ればタービンで歯をガリガリと削られ骨の焼ける匂いがする。
 気づけばほぼすべての歯が詰め物付きだった。とくに切歯よりも奥の歯がやられていた。痛い処置には慣れっこになっていた。
 乳歯とはいえ、その次に待機する永久歯のパイロットであり、二度とは生え替わらない永久歯のためには、今にして思えば随分と悪いセルフケアの結果だったと思う。
 私には妹もいるが、妹も同じ歯科医院で虫歯の治療を受けることしばしばだった。

学校のストレスで鉛筆を嚙んで……

 さて、私は小学校低学年の頃から今でいう適応障害的なところがあった。洋服のボタンを引きちぎったり、鉛筆の軸を歯で嚙んでは歯形だらけにしていた。
 いずれにしても、歯については良いことがなかった。永久歯は鉛筆の軸をかみ続けたせいか、平らなものが少なく波を打っている。いわばストレス解消のツケだ。
 神経までいっているからといい、何本乳歯を抜歯されたことだろうか。
 それでも永久歯は沈黙したまま生えそろっていった。

永久歯との出会い:一本だけ神経抜かれた歯の思い出

 中学生ぐらいの頃だろうか、ようやく歯は永久歯で生えそろった。それでも、補綴物、つまり詰め物とは相も変わらず仲良しで、育った街のかかりつけ歯科には迷惑をかけ続けた。先生も同じ人で、私を見ると顔パスであった。
 あるとき、強く嚙んでというので先生の手が口に入ったまま食いしばってしまい、悪いことをした。タイミングというものが私には分からなかった。それ以来、体重の何倍もの力がかかる歯の使い方には気をつけるようになった。
 年月が過ぎて、私は文系の学生になった。大学4年の頃が一番痛い処置と出会うことになった。歯髄の神経まで虫歯が進んでおり、下顎側の歯一本は神経を抜かれている。ちょうどアルバイト先を転々として、とある設計事務所の時に連日砂糖入りのコーヒーを飲んでいた。それと周りと溶け込めない性分から来るストレスも手伝ったのか、その一本の歯は神経を失い、しばらくの間天気が変わる度に強く疼いた。今も体調が悪くなると時折疼く。
 4年間お付き合いのあった女友達と喧嘩別れしたのもその頃だった。就職も受験も決まらず、大学院に進んだ。

「金属アレルギーですね」:引っ越した先でCadCAM冠との出会い

 大学院を修了すると、今度は慣れた土地には就職口がなかった。
 そして、慣れた土地を離れ、職場に近いところへ私は引っ越してきた。新しい土地での新しくかかる歯医者さん。隣の家に居たおばさんには、土地に不案内なものでと、いろいろとお世話になった。その時に教えてもらった親子代々の歯科医院だ。
 そのおばさんがいうには、強面の初代の先生がいて私はその人の時にかかってこわかった、でも息子の代かなと。息子とはいえ、もうそろそろ60代中盤という先生だ。
 歯の本数を教えてくれたのもその先生で、上下28本と私が言うと、32本ですよ、という。そう、親知らずが入っていたのだ。
 それからまた孫にあたる先生にも私の歯の治療に当たっていただいている。そのとき、アトピー性皮膚炎が治らないのが私の場合、詰め物、インレーの金属のせいではという大学病院の皮膚科担当医が指摘していたので、その歯科の若い先生に告げるとセラミック冠、CadCAM冠を勧めてきた。
 だいぶ時間はかかった。交換が終わると心なしか湿疹は軽くなっている。皮膚科の先生にも報告すると少し安心していた様子が忘れられない。

グッバイ:親知らず(智歯)の一本

 前職でのことだが、審美歯科で顔のバランスのために親知らずを全部抜いてもらった女性のことも知っている。
 さて、私はというと左下の智歯が埋没歯、しかも虫歯になっていて永久歯が生えそろってから抜かれたのは今のところ、そこだけだ。歯茎から顔を出しかかっていて、抜歯の時は歯茎をメスで切開、埋没歯にくさびを打ち込み割ってから抜くというものだった。施術の先生はいつもと別の人で、歯科衛生士の人もドギマギしながらである。時間が長引き、途中で麻酔が切れてきて痛い。麻酔を追加してようやく終わった。
 血を見るのには慣れていないので、家に帰ってから口をゆすぐ度に大丈夫かという気持ちだった。消炎剤と抗生物質をもらって飲んでいた。夜中にも痛んだのは忘れられない。抜糸してもらって一段落だった。

 それから、「私も家庭を持ち子どもに恵まれ」と書ければ良かったのだがエッセイにできるような内容ではないのが私の生き方だ。本当は職場のストレスから精神を病み、多くの処方薬のせいか歯ぎしりと開口障害に陥っていた。
 歯科の若い先生は開口器を使い、私の開きにくくなった口をギュッと左右に開く。痛かった。お薬手帳の内容も先生は知っていたのでその後、顎や口周りの筋肉のマッサージをしていただいた。これも痛かったが効果はあった。
 その後、私は長年勤めた前職を後にした。それでもなお、処方薬の副作用で歯の食いしばりは止まらない。そのため、歯科の先生は私にアクリル製のマウスピースを作った。3ヶ月に一回の受診で歯と歯茎のケアを受けるが、マウスピースの具合を見て「歯ぎしりが激しいですね」とのこと。今使っているマウスピースは二代目である。

歯科衛生士さんにも指導を受け:フロスとピック

 あるとき、4ヶ月まで受診間隔を空けてしまい、歯科衛生士さんに暗に注意を受けたことがある。なぜなら、歯周ポケットの深さが相当なところまでいって、セルフケアだけではいけないところまでいっていた。
 歯周ポケットが深いとそこに超音波の伝わる器具を差し込んで掃除してくれる。歯石も溜まっているそうだ。
 歯周ケアでうれしいことがあるとすれば、歯周ポケットの深さが歯磨きの度に改善されているところがある。何かそれをやりがいにして歯周ケアに励んでいる。市販のフロスとピックも使い掃除している。
 私が小さい頃テレビのコマーシャルで歯磨きに3分間はかけて、というものを憶えているが、いまや4倍以上は時間をかけている。あの頃出演していた子役も歳のはずだが今なら何と宣伝するだろうか。

「私も歳ですから」と先生:50代後半すべて自分の歯、でも隙間が……。

 それでも、歯の隙間が大きくなってくると食べた物の繊維が挟まりやすくなる。このまま歯茎が弱って歯が抜けていくのでは、そうした不安に駆られる。
 あるとき、若い先生に話すと、「私も歳ですから、よく挟まりますよ」と返ってくる。そういえば顔のしわも多くなってきたし老先生にもよく似てきている。こう聞くとある程度、歳をとる気持ちの覚悟もつく。

2024年永久歯の旅はつづく:8020を目指して

 直線的にというより対数グラフのように急に、歯も衰えていってしまうのかと不安になるときもある。対数といったのは自然界や統計でよくあるように、約10年前に肝臓がんで父を看取ったとき、歯の具合も急激に悪くなっていたという記憶があるからだった。70代の母も私と同じ歯科医院へ通い、部分入れ歯を使っている。
 さいわい、今のところ歯のメンテナンスへ通うと「きれいに磨けていますね」と声をかけられホッとする。それまでは煙草は吸ったことはないが、嗜好品のコーヒーやお茶の渋で歯がけっこう汚れていた。手入れのときにタービンブラシと超音波の道具で汚れを落としてもらえるし、虫歯の早いうちの発見に繋がっている。
 この先、どこまで自分の歯でいけるだろうか。毎晩、夕食後に洗面台に立つと、鏡に映ったシワの深まる自分を見ながら、食べかすを掻き出しては時間の経過を感じる毎日である。

ここまで。
2024/11/13 記

#いい歯のために


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