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2024/12/10 ペットも限りある命・ペットの死

(タイトル写真は二代目の柴犬「むーちゃん」)

 X(旧Twitter)の2024/12/08朝のトレンドで「ペットの死」が入っていましたね。見ていませんがプリキュアの中で採り上げられたそうですね。

 同じくテレビアニメでドラえもんの中で、しずかちゃんの飼い犬の死が出てきましたが、時間を遡るという「禁じ手」がありましたね。高校時代は図書室でSFと生物学の本を読みあさっていました。時間を遡るというと全時空が歪んでしまうんですよね。なんかそういうことをトレンドで思い出していました。

(何と四季のミュージカルで『バック・トゥ・ザ・フューチャー』が演じられるとか。映画版も面白かったです。写真から主人公の姿が薄くなっていくシーンとか。)

 さて、私の闘病の友、ペットの先代の柴犬華子。今月でその死から6年目になります。

 現在の二代目は早4歳。実は柴ロスが2年間続いていました。先代は17歳という高齢でしたが職場からの帰途、虫の知らせがしました。帰ってみると横になって手足を硬直させ虫の息の、外飼いの華子を母が室内に引き揚げ、最期を看取りました。
 急激に歩く力や食べ飲む力も衰え、近づく近所のネコすら追い払えない具合でした。

 その4年前に父は長患いの末に他界しています。そのあとを追うかのような最期でした。人と動物を一緒くたにしてはいけないのですが、父の時も「これで最期の看取りはよかったのか?」と思ったものです。

 いえ、親しい者との永の別れとはいつになっても、ある程度時間が過ぎないと煩悶してしまうものです。これでいいという答えは見つからないと私は思います。その限りにおいて、時間が解決するとは言い得て妙です。エリザベス・キュブラー=ロスの(死の)受容の五段階を思い出していましたが、なかなか最終段階の「受容」にはたどり着けないものです。

 華子のときは、3回目のお彼岸供養まで出かけました。うちは手元供養にしています。お題目と法話をいただき、その間、手元にはお題目のある小さな卒塔婆、うしろには「汝是畜生発菩提心」とあります。今になって思うに、動物報恩譚を連想せずにはいられません。犬の発心、柴犬の本地とか思ってしまいます。現代で言う柴犬ではなさそうですが「悉平太郎(しっぺいたろう)」も連想します。いうまでもなく、今の柴犬の祖型は「石号」です。細かい説明はここでは省きます。
 
 さて、しばらく仕事に手がつかず当時いた就労移行支援事業所にも迷惑もかけてしまいました。無意識にもペットロスは影響を及ぼしてしまいます。30分足らずのアニメーションでペットロスを描ききれるだろうか?少し疑問に思いました。でも、伝えたい相手(主に児童)にペットロスを伝えるきっかけを与えるには十分だったとも思えます。

 いまプライムタイムのニュースを見聞きするたび、人心、人身、人命、ともに粗末に扱う組織的な強盗事件がとりあげられその都度に私たち視聴者の感覚が鈍磨していくのを覚えます。ロシアのウクライナ侵攻のニュースについても、イスラエルをめぐる争いの報についても、次第に人命に対する意識が希薄になりつつあるのを覚えます。
 そんな今だからこそ、たかがアニメーションといわず、そこに込められた唯一無二の「命」についてのメッセージを受け止めたいと思います。

2024/12/10 ここまで

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