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深夜散歩第三夜

千本三条より出発して、まず堀川に出た。

二条城の脇を通ったと思う。

昨日同様の徒歩である。

徒歩である理由は疲れるが、利点が多いからである。

気になるところに止まる事ができる。

両手が空く。

駐車場駐輪場などを気にしないで済む。

これらの点から、徒歩なのである。

堀川通りに出て、とにかく北に北に行こうと思った。

そして、行けるところまで行ってから、南へ南へ帰ろうと思ったのである。

晴明神社に立ち寄ろうと思っていたが、堀川の少し半地下のようになった、用水路というか、人工的な川沿いを歩いているうちに、通り過ぎてしまったらしい。

紫明通まで来て懐かしく思った。

そういえば、高校の部活初日、堀川をひたすら北に走る、という新入部員歓迎の長距離走があった。

陸上部である。

僕は短距離希望だったのであるが、短距離だろうが、中距離だろうが、投擲だろうが、もちろん長距離だろうが、北へ向かえとのことだった。

今宮神社というところが目的地である。

炙り餅のお店が向かいに同士で二軒あって、互いに憎み合っていることで有名な神社だそうである。

走る前に「500円持っていけ!」との先輩の指令は、この炙り餅を食べるためである。

僕は、食べれなかった。

お金は持って行った。

辿り着きもした。

しかし、食べる余裕がなかった。

気分が悪く、目的地と言っても、同距離をまた走って帰らねばならなかったので、そのことを考えると余計に食べる気にならなかったのである。

昨日の散歩はそんなことを思い出した。

北大路通まで来て、これでは高校時代と一緒なので、どうせまっすぐ言っても、今宮神社にたどり着くだけだろうと思ったら、急に方向転換したくなった。

東に向かった。

そこから、ひたすら東に向かい、東大路通まで来た。

北大路の東大路、なんとも言いづらい場所である。

まだ、東に行けたのかもしれないが、自然と南に下がった。

下がるというのは、南に行くことである。

逆に、上がるというのは、北に行くことである。

京都ではそういう言い方をする。

他府県では通用しないことらしい。

なぜ南に行ったのだろうと、しばらくして考えてみると、簡単なこと、下りだからである。

少々疲れていたのだと思う。

子供は、登りの道を行くものだと聞いた。

大人で、まして、運動不足の中年男にもなれば、自然下りを選ぶものらしい。

下って下って行くと、京都大学が見えた。

百万遍という場所である。

木材の往来が百万回、無数に通る場所であったから、と聞いた事があるが違うかもしれない。

京都大学といえば、汚い看板というか、学生たちのスローガンなのか、何かがそこかしこに置いてあることでも有名であるが、先ごろ撤去されたとニュースで聞いた。

実際なかった。

しかし、「私たちの声を返せ」と英語で書かれた張り紙がしてあった。

なんだ、全部撤去されたわけじゃないのか、と思った。

これなら、また看板だらけになるのも時間の問題であると思った。

そのまま東へ向かった。

しばらく、京都大学関連の建物ばかりが続いた。

その横をパトカーかと思ったが、ライトが青い、小さい車が通り過ぎた。

見ると、京大防犯パトロールカー、と書いてあった。

そんなに荒れた学校なのかと思った。

せいぜいやり合いたまえと、偉そうな気分になった。

ここに来て疲れたのだろう。

ずっと南へ行って、という頭の予定を、蔑ろにして、家のある西へ足が動いた。

ああ、このままいけば御所だなと思ったら、少し嬉しくなった。

三日前も御所に来た。

その時は台風がさった直後であったためか、曇りであった。

昨日は雲ひとつない、満月であった。

満月であると、返って暗い。

明暗の差が余りに付いていて、薄曇りの御所に比べて、怖いような気がした。

怖かったせいか、通り抜けるだけになった。

東の門から入り、南の門より出た。

易学の知識でもあれば、何かあるのかもしれないと思ったが、まったく知識のかけらもないので気にしようもなかった。

帰りに、若い頃何度か行った、強面のマスターがいる、「てふてふ」という喫茶店を見かけた。

深夜だったので、当然閉店していたが、いまだに営業しているということが嬉しかった。

帰ってiPhoneを見ると、歩行距離は10キロを超えていた。