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中之島美術館 2024.5 モネ展、福田平八郎展

2024年のGWの5/5、日帰りで大阪に行っていた。今回モネ展と福田平八郎展と観たい展示が中之島美術館で同時にやっていたからだ。少し時間が経ってしまったが、その時の感想を備忘録も兼ねて記しておく。

モネ展は東京でも同じ内容で展示があり、一度上野まで足を運んだのだが、あまりの人の多さに折れてしまい断念していた。そこで今回人は多いだろうけど東京よりはマシであろう大阪に場所を変えてリベンジ、福田平八郎は関東への巡回がないので思い切って足を伸ばした次第である。

行く前は結構お金がかかる事やかなり早朝に起きないといけない事、最悪2時間くらいは並ばないといけないなどネガティブ要素も多く悩んでいたが、そういう時って大体自分が面倒臭くなって行かない言い訳を無意識に作ろうとしているモードなのだ。唯一の対処法は行動あるのみという事でゴチャゴチャ言わず一路大阪へ。

結論から言うとわざわざ大阪に足を運んだ価値はあった、というか本当に行って良かったと思った。先に向かったのはモネ展の方。

モネは画集などであまり見かけない作品が多い、逆に言うと目玉と言えるような有名な作品は無かったものの、展示されていたのがほぼ印象派時代の作品だったこともあり、世の中の人がイメージする「モネ感」が凝縮された渋めのベスト盤という感じだった。

睡蓮は敢えて言う必要が無い位鉄板だが、睡蓮に次ぐモネの代名詞である積み藁シリーズでは逆光で真ん中構図の作品にかなりグッときた。あとはラ・マンスボルトという海沿いにあるトンネル状の穴が空いている崖のシリーズ(この岩の質感がヤバい)、ロンドンのテムズ川の橋や国会議事堂を描いたシリーズなど、ナマで観て良かったとしみじみ思った。ただ、モネ作品で個人的に今一番見たいと思っていた「ルーアン大聖堂」のシリーズが一枚も無かったのが残念。

福田平八郎の事を知ったのは正直最近になってからだ(多分僕の時代の美術の教科書には福田作品は載っていなかったと思う)。福田は1892年生まれの日本画家。時代的には近現代の画家だが伝統だけでは収まり切れないタイプの作家。現代の日本画の新しい流れを作ったと評されている。若い頃はスタイルを模索している感じで色んなスタイルで描いていた。そして割とどのスタイルでも若い画家が描いたと思えない位の技術力の高さが伺えた。多分何をやらせてもサクッと出来る秀才タイプだったんじゃなかろうか。だからだろうか、若い頃の作品は作風がバラバラな事も起因するが、描けるから描いたみたという感じ。みんな佳作という感じで何かが足りない印象は拭えなかった。ただ構図や全体のリズムみたいなもののセンスは若い頃から既に下地が出来上がっていたように感じた。

福田が普通の日本画家と違う所は観察と写生の鬼だった所、好奇心が強く、自由で何でも絵のモチーフとして取り入れようとする貪欲さを持っていた所(テレビの天気図や箱に入った葛餅も描いてたり、晩年の作品でほぼイラスト化している緩い作品も見受けられた)などが挙げられる。

水の表現(凍ったものも含めて)にはかなりこだわっていたようで、水面をモチーフにしている作品やその習作を見る事が出来た。その中には代表作『漣』も含めほとんど抽象画に見える作品もあるが、恐らく本人は写生が結果的にそうなっただけで抽象画を描いているとは思っていなかったのではないだろうか?

お前如きが一緒にするなと言われるだろうが、僕は写真家で岩の写真のシリーズをライフワークにしている。その撮影の過程で目の前にある岩を撮っていたら段々抽象画みたいになっていった経緯があり、福田の水のシリーズや竹のシリーズ、落ち葉の習作などを見ていると、彼に見えている具象の世界を徹底的に観察し写生した先が限りなく抽象的な表現に近づいていったように思えて勝手にシンパシーを感じた。

抽象芸術(特に絵画)は対象を持たないもの(現実世界に存在するもの以外)を描いたもの、という事が一般的な定義になっている。現実に存在する対象があって、それを描いた具象的な作品が抽象に近づくという事はどういう事なんだろう?僕らが抽象芸術だと思っているものはそもそも自然の中に存在しているものの形象(木や岩や水、雲、植物や生き物の形や模様など)の影響を無意識に受けている、あるいはサンプリングしているのではないだろうか?そんな事を考えさせられてしまった。

Eテレの「日曜美術館」の福田特集の中で、福田は形ではなく色が最初に入って来ると語っていた。福田は色彩を追求していると自然に対象の形を捉える事が出来ると述べている。セザンヌも色から空間を構築しているし、こういう感覚で世の中を見れると良いなぁと憧れを感じた。

水面シリーズを見ていると、モンドリアンが木を段々抽象化させていく過程の作品を思い出した。戦後になってから福田がロスコらアメリカの現代作家の作品を見に足を運んだことは模写からもわかるし、図録の解説に戦争が終わって世界の色んな美術が見れるようになったことを喜んでいるような記述はあったが、水面を描いた1932年の作品『漣』を描いた当時にそういう作品を知る機会がどの程度あったのか気になった。写実から抽象化していく過程みたいな習作みたいなものは残っていないのだろうかと思ったが、そもそも福田に抽象画を描こうという意図が無さそうなのでそういうものは残っていないのかもしれない。

福田自身も反省しているが作品が装飾的になりがちなきらいはある。本人も古典に引っ張られたと語っているが、その古典とは主に琳派の作品の事を指しているのでは。本阿弥光悦と俵屋宗達の合作など絵が装飾的だし、グラフィックデザインと言っても過言ではない作品もある。

実際『漣』や『竹』は現在のグラフィックデザインに近い(『漣』は発表当時「浴衣の模様」と揶揄された)。しかしマティスも壁紙と床が同化して装飾的になっていたり(福田の装飾的とはタイプが違うけど)、特に切り絵シリーズの頃は色とリズムによる画面構成が表現の中心になっていた事が考えられる。

両者は意外と同じように世界を見ていて、かなり近い境地を共有していたのかもしれない。装飾的になると画面は平面的になるが色や重なりなどで独自の絵画空間を作る事は出来るし僕は何故だかそういうものに強く惹かれる(ウィリアム・モリス展を見た時にも強く感じた)。一見適当に描いているように見えるジャクソン・ポロックの作品にも装飾性はある(『ジャクソン・ポロック研究』という本にその事が詳しく述べてある)。

福田平八郎展は自分にとってかなり大きな刺激になった。最近知ったのだが琳派と福田の展覧会が九月から始まるらしい。これは絶対見逃せない。

※写真は僕の岩シリーズです。

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