見出し画像

『没後30年 木下佳通代』感想

連休真ん中の11月3日、埼玉県立近代美術館でやっていた『没後30年 木下佳通代』展を観に行った。毎回書いてるような気がするが、木下佳通代というアーティストのことは全く知らなかった。春に大阪の中之島美術館に行った時にこの企画展のチラシを見て初めて知ったのが最初だった。チラシを観て絶対行きたいと思っていたら埼玉に巡回する事を知り半年間待っていたのだが結論から言うとメチャクチャ良かった。

この日はたまたま木下さんと親交の深かった美術家の植松 奎二氏と埼玉県立近代美術館の館長、建畠 晢氏のトークイベントもやっていて急遽参加した。展示では知る事の出来ない木下さんの気さくな人柄やアートに対する真摯な姿勢を知る事が出来興味深いお話を聞くことが出来た。

一番初期の絵画作品群は椅子に座っている女性の全身像と植物をモチーフにした抽象画だった。人物像の方は奥行の浅い画面に人物だけ彫刻的なボリューム感があり(特に足。ストロークも木を彫った後のように見える)、人物の内面を描くことより空間にモノが存在している事にこだわっている作品に思えた(印象としてはキュビズムというよりセザンヌの静物画に近い感じ)。これは僕の勝手な想像なのだが大学に入ってから彫刻科の教授に影響を受けていた事が関係しているのでは。

植物モチーフの抽象画も彼女が植物の形や絡まり利用し、浅い奥行きながら絵画ならではの空間性を意識した作品を作ろうとしていたように思えた。

その後作風が変わって、色は白も含めて二色のベタ塗り(後に白と線だけ)で立体が分割したりめくれたりした数学的で無機的な絵になり抽象性を増していく。更にそこからスタイルが変わり、グリッドの中に色を滲ませた作品に変化していく。(そのシリーズの作品の一枚がグリッドはないもののCorneliusの『point』というアルバムのジャケットにそっくり)。このコンセプチャルな作風は写真を使ったシリーズに引き継がれていく。

写真シリーズはトークイベントでも言っていたように「美」を見せるタイプの写真作品ではなく、思考実験と認識とは何かを見ている人に問いかけるタイプの作品で、写真というメディアを使った現代アートよりの作品だった。

正直に言うと僕は長ったらしいコンセプトを読まされるタイプの現代アートがあまり好きではない。長々と能書を読まされた割に面白いと思える作品が少ないし単純に何も感じないことが多い。しかし木下さんの作品はコンセプチャルでありながらビジュアル的にもカッコいい。

我々の視覚が世界を認識していく様子を同じ写真を使って段階的に色をつけていくシリーズもウォーホルみたいでそのままポスターで部屋に貼りたいなと思ったし、他の作品もどこか科学写真のような無機的なクールさがあって僕の好みに合っていた。コンパスで円を書く様子を描いたコラージュ作品はまるでバウハウスで制作された作品みたいだし、少し違うけどベッヒャー辺りと通じる無感情なものもあり、彼女の作品がドイツで評価された事は腑に落ちる感じがした。

写真を使った作品の中では、カメラを固定させて切り取られた空間に段階的にモノを増やしていき、画面がモノで満たされると逆回しするようにモノを減らし、最後には画面に何も無くなっていくまでを撮った作品が好きだった(これは映像にもなっていた)。余計な言葉を使わずシンプルな手法で空間とは何か、空間にモノが存在するとはどういうことかを考えさせる作品。こういう作品を見ると言葉が無くてもアートは成立する、いや、余計なことをゴチャゴチャ言わなくても見れば分かるものこそアートなんじゃないかと思えてくる。

写真シリーズの思考実験で、ある意味自分を追い詰め過ぎたのか木下さんはまた絵に戻っていく。油彩に戻る前にパステルのシリーズを観たのだが、油彩とは違う淡い色使いの抽象画で、油彩にはない滲みがあって面白かった。油断すると晩年の大きな抽象画のシリーズの影に隠れそうだが好きな作品だった。

そしていよいよ晩年の油彩の抽象画シリーズへ向かう。一度描いたものを拭き取る技法を使う抽象画シリーズから始まる。端の方に塗り残しの部分があるのだが、これはこの作品の絵画空間が絵の具だという事を見ている人に思い出させるために機能しているような気がした。実際僕も作品の大きさもあって物凄い没入感があったため、塗り残しを見てハッと我に帰る瞬間があったからだ。

この展示は時系列なので木下さんが抽象画のシリーズでも作品を制作しながら最後の最後まで絵画空間を進化させている事に気付かされる。80年代半ばのオールオーバーな作品から表れる短いストロークの重なり合いは密度が薄まり余白が生まれ、その中で限られた線の縦と横の交差で空間を作るようになる。それが黒っぽい線だけで描かれるようになった作品は水墨画のようでもあった。この進化はモンドリアンの木の絵が段々抽象のコンポジション作品になっていった事を思い起こさせた。

最晩年は文字通り命を削って制作された作品である。これはトークイベントで聞いた話。木下さんは1990年に癌が見つかってしまうのだが、その時にはかなりステージが進んでしまって手術をしても治らないかもしれないという所まで来ていたらしい。そこで木下さんは手術をしないで残された時間を制作する方に充てる決断をしたらしい。

この時期の作品はかなり大きく、相当な体力を使うであろう事は想像に難くない。しかもかなりの沢山作品を作っているし、とても末期の癌患者とは思えない位力強い作品だったし、全てカッコイイ(ちなみにこの最晩年の作品がTシャツになっていた。Tシャツにしてはちょっと高かったけどどうしても欲しくて買ってしまった)。

展示の最後は絶筆となった水彩の小さな抽象画だった。最後の力を振り絞って描いた作品まですごく良い作品で、木下さんは最後までアーティストを貫いた人だったのだなぁとしみじみ感じた。

恐らくこの企画展がなければ僕が木下さんの事を知る事は無かっただろう。もっとちゃんと評価されるべきアーティストではないだろうか?

#木下佳通代  #没後30年木下佳通代 #美術館 #美術館巡り #現代美術 #抽象画 #埼玉県立近代美術館 #アート  #展覧会 #美術展

いいなと思ったら応援しよう!