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映画『うんこと死体の復権』感想

映画『うんこと死体の復権』を観に行った。この映画には親子でお世話になっている絵本作家の舘野鴻先生が出演している。

この映画はチケットを買う時から洗礼を受ける。チケットカウンターで『うんこと死体の復権』とタイトルを言わなければならないからだ。更にパンフレットを買った僕は、その時も「『うんこと死体の復権』のパンフレットを…」と言わなければならなかった。実際に家族や親しい友達でもない他人に「うんこ」という言葉を言う事は心理的に結構抵抗が生じるのだなぁと身をもって知る。また映画館の係の女性に「次回17時35分の回、『うんこと死体の復権』のチケットをお持ちの方はお並び下さーい」とヤケクソ(←狙ってません)気味に叫ばせるという罪な映画である。

ハッキリ言ってこの映画は人を選ぶ。お上品な人は始まって五分で席を立つだろう。何しろスクリーンにモザイクなしで人糞が大写しになる前代未聞の映画だからだ。そういう映画と分かって観に行った僕でさえ最初の方は正直うわぁーきっついなーと思ってしまったからお上品な人にはかなりハードルが高いと思う。ただそれを乗り越えてでも観るべき作品だと思う。

この映画は「糞土師」という野糞の大切さを伝える伝道師の伊沢正名氏、動物の糞から生態環境を分析する理学博士の高槻成紀氏、そしてあまり一般には知られていない虫たちを徹底的な調査と観察をして絵本作品にする絵本作家の舘野鴻氏を取材したドキュメンタリーだ。この三氏の活動を通して僕らが忌み嫌ううんこと死体について改めて考えさせられる作品だ。

最近「サステナブル」とか「SDGs」などの言葉が随分と世の中に根付いてきた。しかし全てでは無いと思うが、企業は何か良いことしてますアピールに、学生は推薦のために、アートでさえ社会性に訴えた作品に見せかけるためにそれらの言葉を利用している。何だか日本政府が掲げる「クールジャパン」のような薄っぺらさを感じているのは僕だけだろうか?

この映画はそんな薄っぺらい環境思想にウンコと死体で鉄槌を下す破壊力を持っている「取り扱い注意」作品だ。ビジュアル的にはショッキングだが内容はとても科学的で、上記三氏の活動を通して僕たちが目に触れないように水で流したり燃やしたりして見て見ぬふりをしてきたうんこや死体が、文明化される前にはどのように循環してきたかを克明に映すことでリアルな説得力を放っている。

この映画を観ると色々な事を考えさせられる。仏教でいう輪廻転生ってスピリチュアルなことではなく僕らが死んで小さな生き物に分解され、色々な生き物に循環していくことなのではないかなと思った。また日本神話にはハニヤスヒコの神という土の神がいるのだが、実はこの神はイザナミの糞から生まれた神なのだ。うんこから生まれた土の神。この事は古代の日本人が失われた循環の知恵をちゃんと知っていた事を示しているし、日本人が糞尿を肥やしにしていた事にも繋がっている気がする。

人間と文明についても考えさせられる。人は本能が壊れた理性をもつ唯一の生き物である。その理性で文明を発達させ生き延びて来た。しかし文明を発展させる代わりに人間は循環の輪から外れ、自身を繁栄させた文明によって首を絞められ、不幸にされている事に僕たちは薄々感じ始めている。映画の中でも地球に人間がいない方が良いのではという問が出て来た。答えは恐らくイエスだろう。しかし人類だってなりたくて理性を獲得したわけではなく、偶然そうなってしまったのだ。他の生き物達が本能で食べたり食べられたり巣を作ったりする事を自然に行うように、僕らは文明を発達させ進化させることを止められなかったのだ。人類の最大の武器である理性が人類を苦しめる最大の原因になっているこの皮肉に何万年もかけてやっと気づいてきたのだ。こう考えるとキリスト教の聖書でお伽話のように書かれている、アダムとイブが知恵の実を食べた事の罪深さは、ある意味今になってやっと実感される。

監督も含めこの映画に出演している三氏は循環の輪の中から外れてしまった人間という存在が、もうその輪の中に戻る事が出来ないことが分かっていて、それぞれの活動をされているのだろうと思う。ただ事実を伝える事が最善の策と信じて。彼らの行動は未来に向けた希望のタイムカプセルのようなものだと思った。

この映画は人類に科せられたこの呪いをどうやって解いていくかというヒントの断片なのかもしれない。この人類最大の難問を理性で解決することは出来るのか、今はまだ誰もわからない。

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