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個人的資本経営研究報告241103

▼はじめに


「個人的資本経営の研究家」と名乗り、ひとまず考えた事をアウトプットしてみた。

研究といっても正式な調査に基づくものではないため、あくまで個人の見解と自らの学びによるものだが、今までSNSすらまともにやっていなかった人間が改めて自分に向き合うには良い機会となった。こんなに真剣に記事を書いたのはmixi以来だろうか。

大学生時代、企業インターンをやっていれば卒論を書かなくてもよいという制度があり、卒論を書かない道を選んだ私には後悔の念があった。
何故もっと、学びを楽しまなかったのかと。

人間は自分が思っている以上に色々なことを考えながら、脳みその効率化によってそれらの大半を排除している。

大量の情報を浴びる中で、いつの間にか長い本を読むのが困難になり、クイックな情報ばかりを求める様になっていた。

ノーベル経済学賞を受賞したダニエル・カーネマンが提唱した「早い思考」「遅い思考」という考え方がある。

早い思考が反射的な直感に頼った思考「システム1」、遅い思考がじっくり時間を掛けて考える思考「システム2」と言われるが、システム2を稼働させることは、ある意味生物の生存本能に反する行いとなるためストレスを伴う。しかし筋トレ同様に適度に負荷を与えない限り脳は成長しない。

世の中、目には見えていない問題が沢山埋もれている。システム1、2を稼働させて、「意識」のアンテナを持たない限り、目の前にたくさん散らばる大切な「問題」を見落としてしまい、「問題意識」として拾って解決する事が出来ない。

そんな当たり前のことを何回も考えるが、何回でも脳は「そんなことは生存に関係ない」と怠けてしまう。

早い思考による直感でも9割は正しいとも言われる。じっくり考えた所で結果はそんなには変わらない。その時その瞬間に正しいと思う選択をしてきた。。はすだ。

今までの小さな成功体験から直観を過信してしまい、つい大事な選択を間違ってしまっているのではないか。もしかしたら間違っていることに気付いてすらいないのかもしれない。。

学びをもっと楽しみたい。
モヤモヤを言語化してみたい。

見えないものを見ようとして、システム2が重い腰を上げてゆっくりと動き出した。

▼日本人なりの「哲学」を持つ必要性

優れた経営者やリーダー、スポーツのプロの世界で成功している日本人は、少なからず自らの「哲学」を持っている様に思う。恐らく持っていないと、孤独感や誘惑に負けてしまうから結果として持たざるを得ないのかもしれない。

自分自身は何者でもないが、SDGsや人的資本経営等のバズワードに対応して目の前の仕事をする中で、本質を見失って働くことに虚しさを感じてしまい、様々なきっかけにより自分なりの考えを発信してみることにした。

これから日本はさらに人口減少していくことは確実で、人手不足問題はあらゆる所で発生するだろう。海外と比べて日本はダメだという風潮の意見も頻繁に耳にする。

果たしてこれから自分が社会に対して何が出来るかは分からないが、日本人が日本人なりの哲学、個人が個人なりの哲学を持って、10年後もっと日本人が日本に自信を持てる様になったら良いなと妄想し、今回、潜在的な日本の強みを、個人として人的資本経営の観点から再考してみることにした。

・改善(KAIZEN)無限(MUGEN)挑戦(CHOUSEN)with調和(CHOUWA)

優れた日本的な人的資本経営の在り方として、カレーライスの原則、八百万の原則、漫画の原則という日本文化に馴染みのあるもので定義し、chat GPTの力も借りながら思考してみた。

現時点での結果として、日本人の強さ、あるいは弱さの根底には「調和」という考え方があり、潜在的な能力として「改善・無限・挑戦」という可能性が見えてきた。

東洋と西洋に加えて個人の多様性を「調和」させながら、長期雇用や出戻りを前提とした心理的安全性の高い場で「改善」を続け、様々な偏愛やこだわりを認めて「無限」の世界を創造し、ハイコンテクストで役割を変えても連携を図れる柔軟性を持ちながら「調和」し、平和な環境の中で各個人が「挑戦」できる日本の強みを各個人がもっと認識したら、社会の人的資本経営が進むのではないだろうか。

何かを「変えたい」と心のどこかで感じている個人が日本的なものに触れる度に、少しでも前向きな気分になり、自己効力感を持って、何かを変えるために自らが行動出来るようになったら嬉しいし、そんな人間が増えれば日本や世界の課題は解決していくかもしれない。

そんな想いで書いてみた。

・現時点での気づきと学び

海外に関して詳しいわけではないので、あくまで日本の中での感覚になってしまうが、近年の歴史を見ると改めて自分達が本当に恵まれた環境にいることを感じると同時に、虚無感も感じている。

過去から引き継がれた大量のエンタメ作品、インターネットとAIによりさらに加速した情報量の途方もない多さ。それらのほとんどを受け取る事が出来ないと考えた時の圧倒的な無力感と、大切なモノに大切な時間を使えていないのではないかという焦り。

そこから1つ抜け出すための現時点での答えとしては、各個人が人的資本経営的な考え方を学び、個人が個人の寿命以上の長いスパンで社会を考えながら、主体的に社会へ関わっていくことが必要だと考えた。

様々な問題と課題に取り組み、幸せな現代を作ってくれた先祖に感謝しながら、50年後100年後、あるいはその先のことを考えて行動し、目の前の大切なことにも向き合える個人を増やすことで、社会全体の人的資本経営と人が関わる課題解決は少しづつ前に進んでいくのではないだろうか。

▼おわりに:私たちはどう生きるか?

歴史的に考えると現在の日本は成熟しており、かつて好景気だと言われた時代に人々が憧れたモノやサービスがあたりまえのように手に入り、社会や親に自分の進路を規定されることも少なく、昔よりも多様性が許容される様になり、多くの個人が自らどう生きるかを考えないといけない「初めての世界」に生きている。

賢い人が世の中の事象をいくら分かりやすく解説しようと、勝手に諸々の問題が解決されるわけではない。問題だらけのカオスな世の中で各個人が問題を課題として考え、個人の意志で変えようと動くことで社会は変化していく。

あまり難しいことは考えず、頭の中で本当はやりたいこと、やった方が良いと思っていることを言語化して、1秒でもどうしたら良いかを考え、1歩でも前に行動すること。

そこから全てが始まる。

「見えないと始まらない。
見ようとしないと始まらない。」

ガリレオ・ガリレイ


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