雨とPlanar
そう書くと中々に詩的だが、実際はグリス漏れしたウルトロンをキタムラに持っていこうとしただけである。
丁度台風が来ていた日のことだ。北海道は台風が来ていても大体直撃はせず、ほぼ温帯低気圧に変わっていることが多いので、せいぜい雨が強めに降るくらいのことが多い。
当時、旭川で食べマルシェというイベントが現地でやっており、最終日が雨というのも可哀そうな話ではあるが、写真撮るにはなかなか面白いシチュエーションである。
ちなみに雨が苦手なのは本当だ。自分は雨男なのだ。張り切って出かけようとすると大体雨で、行こうとする飯屋は臨時休業だ。
さて、ウルトロンは修理に出すとしてだ。虎の子のウルトロンが無い今、レンズの選定で頭を悩ませる。正直、ある程度写れば何でもいい自分だが、ウルトロンを経験した今、いつものズームレンズというのも芸がない。
そういえばPlanar50mmがあった。ウルトロンを除くと持ちレンズの中で一番高いレンズだ。割と安く買える機会があり、勢いで買ってしまったレンズである。
天下のCarlzeissである。安レンズばかり使っている自分のような人間には分不相応なレンズだが、今の今までロクに使っていなかったのは、僕はこのレンズが苦手だからだ。
写りは良い。むしろ抜群だ。持ちレンズの中では頭一つ抜けている。その場の空気まで写し取ると言うのは、まぁ分からんでもない。
だが、何というか、自分とは世界観が違うというか。派手で華やかで、つまるところ描写が濃すぎるのだ。
使ったことある人は何となく分かるんじゃないだろうか。
“何を撮ってもPlanarになる”。
自己主張の強いレンズなのだ。F1.2とか1.4とか、F値の低いレンズは大なり小なり、そういう側面がある。メーカー、というか設計者の情念みたいなものが宿っている。特にオールドレンズはそれが顕著なように思える。
好きな人はそれが好きなんだと思うけど、個人的には主張が強すぎるのは好みじゃない。癖があるのは別に良い。が、出てくる絵があまりにPlanar過ぎて、あくまで写真で自己表現をしたい自分にとって、その世界観は邪魔になってくることが多い。
僕は基本的に天邪鬼で偏屈な陰キャなので、陽キャはあまり好きではないのである。
どう考えても単なる僻みではあるが、ともかく今回はPlanarを持っていこうと思ったのだ。
理由は単純で、Planarで雨の街を撮るって何だか格好良くないか?とそういう実に俗っぽい思考だ。上でグダグダ管巻いていたのは何だったのか。
で、まぁ久々にこのレンズに光を通してみたわけだが。
これがまぁドンピシャだった訳で。
Planarのこってりとした描写に雨の街がマッチングしている。
これはなかなか悪くない。
……まぁ何でも、食べず嫌いせずに、ちゃんとしっかり使ってみないと分からないということで。