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続けることの難しさ

何でもそうだが一番難しいのは継続することである。
お察しの通り、記事を書くのは約半年ぶりである。冬の写真を撮りたいと言っておきながらこのザマである。
というか歳を取るごとに冬が嫌いになっていく。冬というか雪が嫌いなのだ。暑いのも寒いのも嫌いだが、雪がない分夏のほうがマシである。
雪の景色は情緒豊かで嫌いではないが、毎日毎日これでもかと降ってこられるといい加減うんざりする。
そんな訳で雪が降り出すと引きこもる訳であって、必然写真を撮る機会も減るわけで。
まぁそんなカッコ悪いオッサンの愚痴はともかく、継続することは難しいという話である。

「才能とは、続けることだ」と言ったのは羽生名人だったか。実際、そうだと思う。飽きずに続けることこそが最も難しい。365日20時間やれば何者にもなれるとは極論だが、まぁそれくらいの情熱が必要である。
……そもそも論として写真は単なる趣味でしかないので、そこまで気張る必要はないのではあるが、こうやってSNSやnote、ネットで外部に公表している段階で、「君の写真良いね!」と誰かに言ってもらいあわよくば金にならないかなと下卑なことを思っている事は否定出来ない。たまにインスタやTwitter、noteに写真載っけてる癖に「いや自分はあくまで記録のためにッスよ。そんな下品なこと考えてないッスよ」という論旨を長々と説明してる場合があるが、大体はそんなことなく、結局みんな好きなことだけやって暮らしていきたいのである。
だからといって面倒くさいことはやりたくなく、続けることは面倒くさいことも多く、故に人に認められたいが続けられない、続ける方法を探している――しかも楽に――という承認欲求のモンスターが誕生するのである。この怪物は恐らく誰の中にもいて、自分に自信がない人ほど強く暴れ出す。

劣等感というのはつまり人に認められていないという点から発生していて、承認欲求と劣等感は相関にあり、あるいは類義語である。
その発散のために、人は絵を描いたり、曲を作ったり、もしくは写真を撮ったりするのである。……ヴィヴィアン・マイヤーのように生涯自分の記録のためだけに撮ってる人もいることにはいるが。
増大するエゴに飲み込まれず、飽きずに淡々と行為を重ねるのもそれはそれで怪物じみている。そういう事をできる人が、本当の天才かも知れない。

そういう本当の天才にはとてもではないがなれない。かと言って多数派には入りたくない、分かりやすい写真は撮りたくない。自分は自分のまま、他人に認められたいというワガママ。所謂インスタ映えを嫌うのは、こういった理由がある。大多数に認められたければ、それに迎合するのが一番だが、ややこしいことにプライドが邪魔する。プライドというと格好良さげに聞こえるが、“迎合した自分はそれはもう自分ではなく、そんな面倒くさいことはやりたくないし、あくまでありのままの自分を認められたい”という強烈な承認欲求である。二律背反というか自縄自縛というか、言語化すると非常にみっともなく幼稚なように見えて、何とも醜い。

エゴも貫けばアートになる。いずれにせよ何らかの形として世に残したいのであれば継続こそが唯一の方法である。
認められたいのであれば続けて続けて、続けていけば何かの形になると信じてやっていくしかない。
自分が写真を撮るのは、そういう欲求だ。そこは飾ることなく、向き合っていきたい。
いつか死ぬときに良い人生だったと思うために――みっともないとしても、自分らしく続けていこう。

まぁつまり、せめて一ヶ月に一記事くらいは更新したいよねっていうお話でした。頑張ります。


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