マッスルインバランスの理学療法
こんにちは。最近、マッスルインバランスの理学療法という本を読んだのでその本の内容で特に重要だと思ったところや勉強になった考え方などアウトプットしていこうと思います。
マッスルインバランスとは
マッスルインバランスとは、”筋の不均衡”を意味し、理学療法士が身体運動を考える際に極めて重要な概念となる。痛みや機能障害を抱えている症例の多くは、筋活動に継続的な不均衡が生じ、異常な運動パターンが繰り返されている。この異常運動パターンが定着していることが、多くの慢性的な疼痛を生じさせる要因となっている¹⁾。
マッスルインバランスの発生機序と障害とのつながり
特定のスポーツ種目や生活習慣を継続していると使用している筋肉に対しては過緊張が起こりやすくなる。ここで言う過緊張とは日常生活レベルでの筋緊張が増加してくるという意味も含んでいる。
そうなると過緊張筋の拮抗筋には相反性抑制というメカニズムが働き、筋出力が出にくいような神経的な抑制がかかってしまう。
そのような生活スタイルを継続しているとより一層両者の差が顕著になり、マッスルインバランスであったり、過緊張筋の短縮・弱化筋の延長による関節可動域制限につながる。
このような状態での運動は本来の軌道から外れた異常運動パターンもしくは本来の主動筋ではなく補助筋を過剰に使用するようなパターンに陥り、最終的には関節周囲構造の破綻(疼痛)や過剰使用による慢性障害につながっていく。
このような流れをみると現代人の多くの人が何かしらのマッスルインバランスを抱えているだろう。
スポーツ選手はもちろん、会社員の人でもほとんど毎日同じような生活習慣を送る。その生活習慣の中に普段は入らない感覚刺激を積極的に取り入れている人は少ない。
僕が呼吸に関して書いているnoteでも述べているが、特定の生活習慣でおかしくなってしまった運動パターンが定着してしまい、それが慢性障害へと発展してしまっているのだろう。
呼吸ができていないという状態もある意味単調な生活習慣が生み出す異常運動パターンといえるかもしれない。
ムーブメントをみる・改善する
腰痛・股関節痛・膝関節痛など筋骨格系疼痛症候群は保存療法が重要とされており、古くから理学療法の対象となっている。このような筋骨格系疼痛症候群に対しては、物理療法・装具療法と合わせて運動療法としての関節可動域運動や筋力増強運動が実施されてきた。このような伝統的な治療法には即時効果としてはあっても持続的な効果がなく、それが理学療法士を悩ませてきた。
なぜ効果が持続しないのかといえば、理学療法の時間でストレッチをしたり関節可動域運動をすることでその一時の運動や疼痛は改善するが、その時間内で痛みの出る異常運動パターンの改善まで手が及んでいないことがあげられる。
理学療法士はおそらく痛みに着目しがちでなのであろう。運動療法室における痛みの改善に夢中になってしまい、その痛みの背景にある他関節の可動性や安定性には目を向けない。
この本では筋骨格疼痛症候群の背景にはマッスルインバランスが存在することが多く、そのような状態に対し、過緊張筋の抑制、弱化筋の促通にとどまらず、最終的には「異常運動パターンの修正」まで踏み込むことが重要であると繰り返し強調されている。
僕自身学校での友達との会話でも、ROM測定・MMT測定に対して過剰な信頼を持っていたり、本当は判断できないようなことまで拡大解釈している人もいるし、痛みへのアプローチ=ストレッチみたいな人ばかりだと感じる。
学校ではメジャラブルな評価は念入りに教えてくれるものの、動作の見方については全く教えてくれない。
最終的に僕らが目指すのは動作の改善であり、ADL能力の向上であるのに。
そのような環境で過ごしていると自然に思考が寄っていってしまう。
野球をやっている腰痛持ちの患者。ROM測定したら胸椎の回旋可動域が狭い。だから胸椎の可動域を向上させるような理学療法をしよう。
このような思考では絶対にその患者を根本的に治せない。
感覚というROM測定やMMTとは若干異質な、数値では表しにくいような部分やその患者の実際の動き、ボディイメージや運動イメージなどにも踏み込んで考えなければいけない。
また、胸椎回旋可動域が狭くなった原因を考察しない限り根本解決はできずにずっと通わせることになるだろう。
ROM・MMTはもちろん重要であるが、それはそれでしかない。
「動作をみる」というある意味感覚的な部分、質的な評価も決して忘れてはいけない。
最終的には動作・生活習慣の改善まで持ち込まなければいけない。
このようなリハビリテーションに重要な視点を思い出させてくれた内容だった。
動作分析などは今後僕らがやらなくても機会がやってくれる時代になるかもしれない。しかし、動作をみれるに越したことはないと思っているし、単関節や二関節レベルの動作に関しては僕らでも十分に評価できると考えている。
動作をみれるということはその関節の解剖学的構造が正しく理解できており、またその解剖学的特徴が故に運動がどうなるかという運動学の理解ができているということである。
また、動作をみれなくてもよい時代が来ても「あれ?ここなんか動き悪いな」とか「正常な人と比べるとここら辺がおかしいな」という小さな事に気がつけるというのは提供する理学療法の質を高める上で役立つと思う。
そのような点では機械も何もなかった頃の先人たちの能力を継承する必要があると感じる。
僕らの仕事はヒト対ヒトである以上、ヒトをみる眼を養わなくてはならないのは当然のことだと思う。
参考
1)荒木茂:マッスルインバランスの理学療法.運動と医学の出版社,p2,2018
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