那奈々さんでも分かる『シゾイドパーソナリティー障害』とは

こんにちは、生き辛いでしょうか? 絶賛生き辛い那奈々さんです

さて先日の自己紹介でも述べた通り、那奈々さんは私自身を『シゾイド気質』と定義しています

ただこれは、別に医師の診断やカウンセリングを受けた結果ではなく、自分の過去や今現在を箇条書きし、そこから涌き出る『生き辛さ』の理由を何らかのカタチにしたものでしかありません

無論世の中には、ちゃんとした診断やカウンセリングを受けて『シゾイドパーソナリティー障害』であると定義された方も居るでしょうから、私の定義とは異なるものと考えてください



『シゾイドパーソナリティー障害』とは何ぞや?

wikipediaでは

スキゾイドパーソナリティ障害(スキゾイドパーソナリティしょうがい)あるいはシゾイドパーソナリティ障害(シゾイドパーソナリティしょうがい、英語: Schizoid personality disorder: SPD)とは、社会的関係への関心の薄さ、感情の平板化、孤独を選ぶ傾向を特徴とする人格障害。
「社会的に孤立していて、対人接触を好まず、感情の表出が乏しく、何事にも興味や関心が無いように見える」という性格特徴を表す言葉である。

としています。こう聞くと、他の人格障害と比べて、表立った障害のない、いわば『究極のお独り様』のように聞こえますね

『外界への興味・感心が薄い』という点で、対人恐怖症や回避性パーソナリティ障害とも異なるようです

原因としては

生まれ持った資質の弱さ、発達のアンバランスさ、親からの虐待やネグレクト、母子関係のこじれ、発達早期のトラウマ、医療トラウマ、学校や社会でのトラウマ、生活全般の困難などが影響されると考えられている。

とあり、こう見る限りは『元々そうだった』というよりは『外界からの影響で変容した』とも見えます。私自身も思い当たる部分が確かにある

では実際に診断基準を抜粋して、プロファイルしてみましょうか


DSM-IV-TRにおける診断基準


家族を含めて、親密な関係を持ちたいとは思わない。あるいはそれを楽しく感じない

自然消滅してしまった友人関係はともかく、私は父親に見捨てられ、また(事情はあるにせよ)実の妹を家から追い出した身です。身内には現状以上のものを求めていません

また、善意悪意問わず『都合のいい人間』として扱われていたフシがあり、そういう事情から他者と深い友好関係を築く事に忌避を感じています

尚且つ『他人を信用できない』んですよ、私は


一貫して孤立した行動を好む

家族関係、仕事関係等、誰かと接しなければならないような事情がない限りは、私生活は独りの方が気楽です。他人に関わるより、趣味ややりたいことに没頭したい

尤も『それが楽であること』と『それを好むこと』は別かもしれませんが


異性と性体験を持つことに対する興味が、もしあったとしても少ししかない

概ね◯

そもそも自分自身に対して『誰かに好かれる人間である』というより『嫌われるくらいがちょうどいい』と考えているので、性衝動はあるにせよ他者にそれを求める気は無いです


喜びを感じられるような活動が、もしあったとしても、少ししかない

概ね◯

仕事仲間と会話が弾んでも、その場を離れれば『楽しい』という感情が抜け落ちる。ここ数年、そういう状態が続いています

例えばずっと楽しみにしていた映画を観終わった後、その『楽しかった』がどこにもなく、ただ『映画を観た』という結果に置き換わっている

『楽しい』が残らないんです


第一度親族以外には、親しい友人、信頼できる友人がいない

先ほども申しましたが、社会人となった時から、学生時代からの交遊関係はほぼ消滅しました

職場でも『会話可能な人間』は居ても『腹を割って話せる人間』はいません

数年前、職場の人間からクズ呼ばわりされたあの時から、誰も信用できなくなりましたから


賞賛にも批判に対しても無関心に見える

そも『他人から見た私』ほど、薄っぺらいものはありません。そんな人間が私に対して称賛・批判しようが、結局は『カリカチュアされた私』でしかないのです

私は私が納得し得る私でいたい。ただ情報として『他者が私をどう見ているか』は興味がありますが 、別に無くてもいいのです


情緒的な冷たさ、超然とした態度あるいは平板な感情

概ね◯

例えば他人の身の上話(同情の欲しがり?)は、話の腰を折らないように相槌こそしますが、それはあくまでその人自身が解決すべき事。私が助言してもどう解釈されるかは分かりません

そういう意味で私は『冷淡』なのかもしれません



総評

あらら、ほぼ埋まりましたね。

しかしながら先ほど申した通り、これはあくまで過去や今現在を箇条書き・精査した結果であり、尚且つ『生き辛さ』に対する理由付けでしかありません

だから、あくまで気質。考え方・在り方としての位置付けでしかありません。

ホントは、医師の診断やカウンセリングを受けようかなとも思ってるんですよ。ただシゾイドって明確な診断方法や治療手段があるわけじゃないのです

それに、自分自身が『生き辛い』と感じるだけで、他人へ害意が及ぶことでもないのです



理由が分かっても、生き辛いのは消えない

でもそういうものを可視化して、痛みと共存することはできます

それでわ



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