ヴァイオリン協奏曲第2番ホ長調BMW1042第1楽章
世田谷代田の三が日は至極落ち着いている。
下北沢の古着屋は営業納めを終え、クーラーの清掃に忙しそうで、
渋谷や新宿に行かなければ、師走の喧騒とは無縁で過ごせそうだ。
年末年始というものを親族以外と過ごした経験がない私にすれば、
とにかく落ち着いていられる場所に身を置くことが最優先だった。
大晦日は東京の親族に声をかけ、赤坂でリッチなランチとアフタヌーンティーを楽しんだが、
祖母とこたつに入りながらみかんをつつき、半分は興味のないカラオケ大会とダウンタウンの罰ゲーム大会を行き来する年末に比べるとどうしても騒がしく思えた。
四谷、青山、六本木に囲まれた地は静かで清潔だったが、それは逆に睡眠中の猛獣のような危うさも孕んでいた。
きっと1ヶ月前までは煌びやかな光を放ち、汚い大人たちのボードゲームが行われていたことだろう。
渋谷は見ようによればエネルギッシュで可愛げがあるが、新宿は品がない。
それでいうと世田谷は、出入り自由の結界の中にいるような気がする。
夕刻、私は梅ヶ丘方面を見渡して富士山を睨んだ。
私は妙に腹が据わる気になった。
ぐつぐつと何かを壊したい衝動に襲われる。
きっと、現状に腹が立ち、国の要人を憎み、未来の自分にのみ期待しているようだ。
私が腹立たしいのは、大学を出た瞬間に背負った借金のせいではない。
何かが噛み合わずにくすぶっている胸の炎のせいだ。
妙に自分を俯瞰して見れる性格すら燃やして消してしまいたかった。
未だに国の要人は、私利私欲を隠そうともせずに仲良しごっこをしている。
何かと若者を盾に取り、戯言を重ねている。
私は1人で生きていかなければならない。
この通りに読まないで欲しい。
その覚悟と技術と責任を持って初めて他者と生きることがプラスになるからだ。
違うかい。
人は常に、自分のせいにするにしては大きすぎる事柄と、誰かのせいにしてしまっては収拾のつかない事柄に挟まれて生きている。
何も恨んではならぬ。
これまでの全てを持って、今の私だと言い切ってしまえれば楽なのだが。
数年前より田舎を飛び出し街に囲まれて、これでもかと汚いものを見た。
それらは苛立ちや哀しさを超えて、私の覚悟をより強固なものにした。
幸運なことに、私は若かった。
若さは時に、見事なまでに複雑な炎を作り出す。
青く、アンバランスでいて、それでもなお目を奪われるような美しさだ。
マッチみたく、焼き尽くすほど大きくなる時もあれば、次の瞬間には消えてしまいそうな程下火になる時もある。
それでも弱火のままに維持を目的としたガス欠のライターよりは幾分もマシだ。
私というマッチはただでは消えぬ。
大きな爆発とともに、誰かに火を移し、間違いなく焼痕を付けて尽きる。
今年の目標なんて野暮なものは要らない。
私は今を味わい、明日だけを掴んでいる。
できることなら一生、このままでいたい。
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