マスカット
人間は得てして、既に決まっていることへの後押しをして欲しがる。
人という字は、支え合うというよりは、
誰かが誰かに頼り切った様子を描いているものとした方が無理がない。
いわば悩みとは人間らしさの象徴である。
すでに期待している答えはあるのに、うだうだと話を長引かせることは現代人が何故か漏れなく身につけている。
居心地のいいはずだった部屋にいては、逆に息が詰まってしまうと思い、考え事のお供を見つけに街へ出かける。
改札を通ることにはため息が様になっている。
脳内を整えたいはずなのに、
イヤホンから注がれる歌詞とメロディーによって左右される気分と思考がうざいはずなのに、
外界との接点を減らすためだけに、音を消費する。
ごめんねとありがとうを履き違えてはいないか、
筋は通っているか、
1つ1つ拾い上げては裏側を探す様は、スーパーの主婦さながらだ。
山手線のように、くるくると思考を回しては、
各駅停車よろしく、つまづいて進めない。
何度も考えて粉々にした悩みは、
まだ流れない涙を含んでペースト状になっては、
脳裏に張り付いて剥がれない。
泣いてしまえば、砂になって消えるだろうに、
そうはさせまいと意地が顔を出す。
振りかぶってえい、と伝え切れるまではもう少しだけ時間がかかる。
見て見ぬ振りを、見て見ぬ振りしていれたら楽だろうに。
列になったマスカットは、がたんごとんと揺れる。
甘いからと言って、ガリと噛んでしまえば種にぶち当たる様は、
もしかしたら生きることと同義なのかもしれない。
枝の先に成る果実を味わいたいのなら、
一つ一つ丁寧に、本当だけを見つけて、
そっと咀嚼せねばならない。
種さえのけてしまえば、瑞々しく甘い果実を
心から愉しむことが出来るだろうに。
私はなんと短絡的なことか、
種ごと噛み砕いてやろうとしたのでした。
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