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やさしいきもち。

優しさとは生きにくさなのか。
誰も傷つけぬよう生きようとすれば疲れ果てるだろうか。
期待することは悪いことだろうか。
身近で、遠かった世界の空気は、今までと少しだけ違った気がしている。

黒いスーツが街に溢れる5月。
まだ足に合わないパンプスを履いて、アクセルを踏んだ。

1ヶ月前に大学を卒業したばかりの私は、健全な不安を抱えていた。

食べ物で人を幸せにしたくて、幸せなパンを売る会社に就職し、ローカルなスーパーに訪問する営業として日々を過ごしている。

「山本さーん、お邪魔しますよ!」

頭がいい訳ではないから、元気な挨拶と笑顔だけは忘れてはいけないと思っている。
が、山本さんはいつも無愛想だ。

「忙しかとけなんでお前の話を聞かなんや。」
「いいじゃなかですか〜。また新しかパンの出来たけん、買ってくれんかな〜って思って来たとですよ!」

山口の5月は既に暑い。
白のブラウスは4月の半ばからもう半袖だ。

私はこの仕事が好きだ。
まだまだ覚える事だらけで一人前とは呼べないが、小さなパンが人を笑顔にすることを知っているからだ。
優しい私は、食べているの人の笑顔が大好きだった。

営業所に戻ると、まずは自動販売機でなっちゃんオレンジを買った。
何かを飲まずにはいられない暑さだ。

まだ、「ふぅ〜。」と気は抜けない席に座り、ゆっくりと鞄の中身を整理していた。

「先輩、営業って難しかですよね。こっちの目標とか、お客さんにしたらどどうでもいいですよね。どがんしたら私もお客さんも幸せに出来るとでしょうね〜。」

私の隣の高田さんは優しい。
研修として一緒にお店を回っているが、皆彼のことが大好きだ。
職場では新入社員の私に限らず、聞かれたことには全て答えてあげる。
10歳上だとは感じさせない親しみがある。
落ち着いた声で丁寧に話し、人前で愚痴や不平をこぼすことはなく、笑顔が素敵だ。

今回も例外なく優しい答えが返ってきた。
「買いたいって思ってくれた人に、更に上の提案ができるようになったら世界の変わるけんね。そうしたら自分も相手も幸せに出来るごとなる。春ちゃんなら大丈夫さい。」

私はいつもほっとするのだ。
昔から、料理が上手だったおばあちゃんや優しくて頼りになるお母さんといった身近な人に憧れてきたが、社会人になっても変わらず身近に憧れの存在がいることが嬉しかった。

「お前はテキトーなことばっか教え散らかすやろうが。須田さんもそがん奴に質問したって意味のなかさ!」

部長はいつもこうだ。
高田さんがどれだけ私の不安を消してくれているか。私にとってどんな存在であるかなんて知りもせず、いつも言葉の矢を放つ。
高田さんの人格はその言葉によって否定されている

入社してすぐに気づいたが、私には変えられない部分がある。
その部長には誰も逆らえないのだ。
世渡り上手なのか、何故か今は部長にまで上り詰めている。

まだ課長の嫌味な罵倒は続いている。
高田さんは聞こえないような素振りでキーボードを叩いているが、その内面はかさぶたが絶えないことだろう。
いつも、後でこそっと、「気にせんでどんどん質問してよかけんね。」と言ってくれる。

私はこうも無力感に苛まれたことはない。
新入社員とは人間でいう赤ん坊のようなもので、まだ歩くことはおろかしゃべることすらままならない。
人によっては首が座っていないこともある。
説得力を出す成果も経験もなければ、社内での立ち回りも分からない。
そもそもまだ仕事も1人では出来ない。

もしも私がバリバリ仕事が出来て、誰かをまとめるような立場だったら。と、肺に冷気が流れ込むような感覚になる。
実際にその立場であったとしても、今思っている行動をとるかどうかは別問題であることは重々承知している。
とにかく、心が痛くて痛くて、家に着いてから涙を流したことだってある。

一般に言えば、私は優しいのかもしれない。
しかし、人に言われるほど私は優しいとは思わないし、優しいとは何か理解できていない。
人を思う事だけはやめたことがなかったが、中学生まではその片鱗を見せるのみだった。

私は地元では有名な荒れた中学校に通っていた。
父親はバスケ部の顧問として全国大会で指揮し、兄は県No1の高校にバスケの推薦で入学した。
私はその”妹”。
学年が上がる度に担任から父や兄の話をされることも当然だと思っていた。

彼らは私にとって自慢の家族であると同時に、私が私らしくあろうとする抑止力でもあった。
お陰様で荒れた環境で道を踏み外さずに済んだのだが。

負けず嫌いな私は、入学直後のテストではひどい点を叩き出し泣いた。
悔しくて次は上位に食い込んでやった。
素人だったテニスも、2年後には副キャプテンになるまでに成長した。

物事が上手く行かないときは自分が努力するしかない。
素敵な自責思考はいつ誰の影響を受けたのか分からないが、中学の3年間に強い影響を与えた。

私はやればできる。
出来ないのは頑張ってないだけ。
と歪な自己肯定感を手に入れて中学校を卒業した。

私は、兄が通っていた高校に入学した。
それは、兄がいたからではなく、真にその学校が輝いて見えたからだ。

運がいいことに仲の良かった友達も多数入学していた。
中学で自己肯定感の原石を磨いていたこともあり、思春期特有の風のように過ぎる日々による高揚感を感じて日々を過ごしていた。

ただ、歪な原石は触れた指を傷つけることもある。

私の思うように動けない友人や、私の気分を害する出来事を何度も心の中で叩きのめしていた。
「なんですぐできないの?」
「なんで私にそんなことをするの?」
体の内側に、漫画でも稀なお嬢様を飼っていた。

私はバスケ部のマネージャーになることにした。
頑張る人を支える人は常に輝いて見えるからだ。
マネージャーとして、女性として尊敬できる2人の先輩と、隣町の中学校からきた同級生とで部員を支えていた。

私はキビキビ動ける方だから、マネージャー業務もそれなりにテキパキとこなした。
しかし、もう1人の可奈は、それとは違っていた。

ミスをするわけではないし、遅刻をするわけでもない。
ただなぜか、時間がゆっくりと感じられて、世界が平和に見える、そんな子だった。
同じ業務をしていて、ほとんど同じスピードで終わらせるが、なぜか彼女の周りだけのんびり見える。
そんな彼女の魅力にハマっていた。

ある日曜日、試合の準備をしていると、テーピングの残りが少ないことに気がついた。
大きな大会が近いということもあり、試合の強度も上がっていた時期だけに、テーピングに不備がある状況は避けたかった。

試合開始が近い以上どうしようもないが、仕事を完璧にこなせていないこと、選手に迷惑をかけてしまうかもしれないことが妙に気になってしまい、私は苛立っていた。

はっ。と横を見ると、何事もなかったかのように笑う可奈がいる。
この状況でなぜ笑えるのか。
返答によっては喧嘩も避けられないと思いながら、今の状況を改めて説明し、なぜ笑っているのか問うと。
彼女は「大丈夫だよ。なんとかなると思うよ。今日は皆んな怪我しない日だよ。」と言うのだ。

私は呆れたが、大丈夫と言う言葉には心拍数を下げる効能がある。
彼女が言うなら尚更だ。

結局その日は誰1人も怪我をせず、テーピングの出番はなかった。

全国大会をかけた試合の日でも、大学受験の日でもない、ただ、この1日のことが私は忘れられない。

だから私は、何かにつけて完璧を求めることをやめた。
人にはそれぞれの完璧があって、その過程も人それぞれだ。
なぜ出来ないかではなく、どうやったらできるかを考える方が得な上、
何より大丈夫だと思っていた方が平和で幸せだ。

私の人生に大きなエピソードはない。
きっとこれからも、波乱万丈や日本一と言った言葉は登場してこない。
それでも一場面一場面を丁寧に、感情の動きに気付きながら過ごして来たことで、些細な幸せをその些細な大きさのまま、私にとって大きく感じることができる。

ポジティブな私は、嫌なことがあったら、それは将来同じようなことに出くわしたときに人に優しくできるということだと思うし、
明るい人に囲まれていたいから、まずは私がと笑顔を忘れない。
誰かが傷つくことを言っている自分が嫌いだから、イライラはいつも枕に大声を出して消化するし、
帰り道の車内から見える花屋さんを見るだけで幸せを感じることが出来る。

16年間の学生期間に出来た友達が、私を常に明るい気持ちにさせてくれる。
もしかしたら私って、結構なお花畑野郎かも。と、就活の自己分析を通じてやっと理解した。

明るい私は、お客さんに好かれる。
営業スキルと呼べるか分からないが、スーパーのおじさんはいつも「須田さん頑張りよるけん買ってあげる〜。」と言って、パンを買ってくれる。
高田さんは横で笑っている。
その場では「ありがとうございます!また来ますね!」というが、これが30代40代になっても通用するものと思ってはならんと気が引き締まる。

徐々に仕事も覚えていった6月、ついにひとり立ちの日が来た。
これまでは先輩と同行し、お客さんに顔と名前を覚えてもらう事がゴールだったが、これからは1人で向かわなければならない。
不安を抱えながら歩く姿は、まさにペンギンの子どものようだ。
滑りやすい氷の上を、おぼつかない足取りで、本人にとっては力強く、歩いていかなければならない。

5月30日の夜。
家族想いの私は、父と母に電話をかけた。
「明日からひとり立ちっちゃん。応援してね。」

「応援しとるよ。頑張りんしゃい。」
実際にどんな応援をしているかは分からない。
祈っているのか、手紙でも書いてくれるのか、歌っているのか。
ただ、今は、その言葉がまぎれもない「応援」だった。

時に言葉は、触れることが出来る。
きっと2人は成功を願ってくれている。
その実感が、胸から全身に行き渡っていることが分かった。
私は言霊を信じずにはいられない。
誰かの言葉があってこその今であることを知っていたからだ。

ひとり立ちの日は曇り空であったものの、涼しい風が吹いていて、薄手のカーディガンが心地よかった。
営業所までのいつものコースを車で向かっていると、スピーカーから素敵な音が流れてきた。

「カーテンを開いて静かな木漏れ日の優しさに包まれたなら、きっと目に写る全てのことはメッセージ」

子供の頃のように怖れ知らずではないけど、それでも無邪気に、まっすぐ世界を感じていたいと思えるメロディーと歌詞だ。
何より、私も優しさに包まれていたかった。

いつも、美味しそうなケーキや、可愛い色の椅子を見るとどうしても触れたくなる。
モノに命や心があるかは知ら無いが、彼、彼女らの優しさと可愛さに触れたくなるのだ。
今日もいい日になればいいな。帰り道はシュークリームを買って帰ろう。と、ご褒美を自分に予約して、道を急いだ。

営業所に着くと、高田さんが待ってくれていた。
「春ちゃん。いよいよやね。大丈夫やけん、頑張って。」

無駄がなく、それでいて不足していない。
今の私にぴったりの言葉をくれた。

気合十分の私は、帰ってきて高田さんに自慢してやろう!と心に決めて出発した。

14時ごろから弱い雨が降り出したが、「雨降って地固まるってことじゃん。ありがとね。」程度にしか思わなかった。
お店を回っている間、高田さんの話し方を真似てみたり、先に社会人になった兄をイメージしたりしながら、必死にパンを売った。

「今日は皆んな買ってくれた!ツイてる、ラッキー!」
顔全体で機嫌を表しながら帰った。
営業所に戻ると、もう高田さんはいなかったが、ひとり立ちの日ということで先輩たちからの労いの拍手をもらった。
嫌味な課長のことなど、思い出しもしなかった。

なんて幸せな日だ。
帰りはちゃんとシュークリームを買って帰った。
「よく頑張ったな〜自分。いいじゃんいいじゃん♪」
今度は表情だけに抑えらず口から飛び出た。

家に帰るととりあえずベットに飛び込んだ。
背中に重力を感じ、クタ〜と力が吸い込まれる感覚があった。

ハッと目を覚ますと時計は6時を指している。
シュークリームは出しっぱなしで机の上に転がっている。

「マジで。何時間寝てんのよ私。」
あと2時間遅く起きていたら、間違いなく課長に捕まるところだった。
シュークリームを冷蔵庫に入れ、シャワーと歯磨きとメイクを済ませ、スーツに体を入れ込んでエンジンをかけた。

携帯の充電は30%。
あまりのアホさに、呆れた。

「はあ〜。もう、バカみたいじゃん。」
と独り言をこぼすと、不意に笑いがこみ上げてきた。

全身を使って生きている心地がしたからだ。
初めての環境で必死に動き回って、空腹に気づかないくらい眠るなんて経験が、ちゃんと私に降ってきたことに感謝すらした。
「仕事って面白いのかもね。」
気づけば笑っていた。
私のいいところは、黒を白と見ることができるこの脳みそかもしれない。

営業所に着くと、また、高田さんはいなかった。
有給かな?とよぎったが、あまり気にしないでおいた。
昨日からひとり立ちしたからだ。
昨日のことを報告する時には、ちゃんと笑顔で伝えようとだけ決めて、今日の準備を進めた。

「須田さん、今日から高田おらんけん。1人でよろしく頼むばい。」
課長だ。

意味が分からず、部長の顔を見た。
よく思い出すと、彼の顔をちゃんと見るのは初めてかもしれない。
冷たい目だった。
何を見ているのか分からず、それでいて一度捉えたら離さないような目。
私は、心拍数が上がっていることに気づいた。

「え。どういうことですか?」
意識より先に言葉が飛び出した。

「やけん、高田は辞めた。あいつはただの根性なしさ。」

実のところ、私はその日のことはあまり覚えていない。

きっと車に乗っていつものお店を回っていたのだろうが、誰とどんな話をしたのか、自分がどんな顔をしていたかは思い出せないのだ。

「トボトボ」の2倍は遅く、重く、鈍い足取りで帰宅したが、カバンを下ろしてすぐに虚無感に襲われた。

恋人に振られたわけではない。
身内を失ったわけでもない。
ただ、何か、氷の塊を飲み込んだように、冷たかった。

怒りなのか、悲しみなのか、悔しさなのか、不甲斐なさなのか。
そもそも、部長の言葉が原因だったかすらも分からない。
何も、分からない。

新卒の洗礼にしては、周りくどい。
優しい私は、涙を流すことしかできなかった。

床を濡らしながら、冷蔵庫のシュークリームを手に取った。
甘じょっぱいシュークリームは初めてだった。

これまで私は温かい人に囲まれていた。
ゴミが落ちていれば拾うし、「ありがとう」と「ごめんなさい」はちゃんと口で伝えてくれた。
私のダメなところは言葉を選びながら伝えてくれたし、気づいたら笑い話に変えてくれた。
言い換えればそれは、期待通りもしくはそれ以上のことで私に返してくれる人が多かったのだろう。

彼が私に何も言わなかったことが必要以上に寂しいことに思えて、彼がこれまで私にくれた言葉の何を信じればいいのか分からなくなった。
「私、重いって振られた女みたい。」
と吹き出してしまった。

22歳にして、初めて感じる倦怠感だった。
感受性が豊かな私は、社会で生きていけるのか不安になった。
少なくとも今のままでは傷つくばかりではないかと、とにかく誰かに抱きしめて欲しかった。

頑張り屋さんの私は、恋人に頼りたくなかった。
彼は今、大切な時期だったからだ。
私を好いてくれている彼はきっと心配するだろうから、少しでも自分で消化しようとした。

1時間経っても、体を動かしたくなかった。

携帯が軽快な音を鳴らした。
こんな時に連絡をくれたのは何かのタイミングだと思い、その友人に電話をかけた。

旧友というものは、昔の自分と照らし合わせて大切なことを思い出させてくれるから好きだ。
思い出話は過去を回顧するだけでなく、未来へと向かわせることもあることを教えてくれた。

何度も聞いた声がヘラヘラしながら話しかけてくる。
私はついに普段の声を取り戻すことが出来た。
「もうダメだよ〜。ははは。」
明るい私は、いつも照れ隠しをしてしまう。

「なーんね。言うてみてん。」
期待していた言葉のはずなのに、いざ言われると気恥ずかしいものだ。
「いや、あのさ。」
今日起きたことを、出来るだけ分かりやすく話した。
話しながら自分のお人好しさに気づき、語調が下がった。

「職場の人って、なんて言えばいいんやろうね。友達?仲間?」
で締めくくった。

電話口からは、んー。とだけ聞こえてくる。
私も真似をした。
「私も分からんけどさ菜々のその感じは失くしたらダメやと思うよ。
多分皆んな、誰にでも心から付き合ったら疲れてしまうけん、調整しよると思うさね。」
「上手くなった方が生きやすいとやろうけど、春菜がそういうのが上手くないのも知ってるし、上手くやりたくないのも知ってるけん、悩んだらいつでも言ってよ!」

また、言葉に触れることが出来た。
私の経験上、触れられる言葉や目に見える言葉を扱えるのはほんの数人だ。
その数人は例外なく優しい。

今は、社会は冷たいと思っている。
知っている社会と言っても、小さな営業所だが。
不完全さを孕みながらも、何故か上手い仕組みになって回っているように見える。
実際そうであるかは問題ではない。
私がそう感じるから、それが私にとっての事実だ。

働いている時間は機械のような正確性と論理を求められる。
こう思ったからでは済まず、データと再現性を求められる。
SNSを見れば、上手く生きる術がシャワーのように降ってくる。
「朝活をして、筋トレをして、積み立てNISAをしましょう。」
「上司と上手く付き合うためには、このような対応をしましょう。」
なんて言葉は溢れ返っていて、掃いて捨てたくなる。
それらの”正解らしいもの”は全て正解であって、正解ではない。
それらの全ては、他人へ期待をせずに1人で生きていくためのものに見える。

好きなものを好きなだけ食べて太ってしまったら、思い切り運動をする。
嫌なことがあったら嫌だと言い、3年後の自分を忘れて今を楽しみたい。
苦手な人と上手くやるために自分がどう変わるかではなく、その都度その都度葛藤しながら、友達に相談しながら生きていたい。

社会人としての人間関係に薄情さを感じてしまったから、余計に子供っぽくいたくなったのかもしれない。
でも、ちゃんと、誰も間違っていないし、私の思いこみもあることに気付けるくらいには大人だった。

SNSのせいか部長のせいか、社会が冷たく感じてしまったが、私の人生は優しさで包まれている。

正直な私は、不器用である。
これまで損をしたこともあるが、それでいいやと思う。
壁にぶつかっても、私の”優しい”を無くさずにいよう。

気付けば2時間も話し込んでしまった。
友人も友人で今の会社に対して散々っぱらな言い様だ。
それでも、人のせいにせず、あははと終わらせるところが好きだ。

うん、がんばるね、ありがとう。
と言い、電話を切った。

夜は更けているはずなのに、快晴の朝のような心持ちだ。
食べかけのシュークリームを口に押し込んだが、今度はちゃんと甘かった。
食べ物はやっぱり人を笑顔にするな。と思って、ニコニコした。

駆け足で今日を終わらせて、また明日を始めることにした。

次の日は胸をはって歩いた。
パンプスの踵が鳴らす音は、まるで時計の秒針のようだ。

社用車を降りて歩道をテンポよく歩いていると、次の信号に見覚えのある背中が見えた。
心の中で謝りながら左右を確認して、一つ信号を無視して渡り、左から顔を覗き込むと、やっぱり高田さんだった。

「おー!春ちゃん。久しぶりやね、って言っても3日ぶりとかか。」
変わらず素敵な笑顔だ。
「高田さん、聞いてください。ひとり立ちの日、全部売れたんですよ!もう一人でやっていけるかもしれません~。」
と、ふざけた。

それはよかったとうなずいた後、高田さんはごめんねと言った。
「言うか迷ったけど、色々と考えてるうちにタイミング逃して言えんかったんよね。急にいなくなってごめんね。」
優しい私は、人を疑りたくなったとき、大抵はこっちの思い込みなんだなと身に沁みた。

今日はお世話になったお店に挨拶に回っているらしい。
山本さんのお店に行くということで、私は行く予定ではなかったが一緒に行くことにした。
山本さんは相変わらず不愛想だったが、
「お前どんの来るけん仕事の止まってしまう。」
と言いつつも、なぜか席に座ってくれる。

高田さんが感謝を伝え、私は相槌を打っていると
「まあ、よかさ。好きにやらなんばい。」
と言い、最中をくれた。
「あんた須田さんやったかな?忙しいときに来んごとしてね。」
無造作に投げられた言葉だったが、中身は冬の缶コーヒーのようにじんわりと温まる言葉な気がした。

大学の講義で習った性善説を思い出した。
やっぱり私は優しさに包まれている。

ある日の悲しさは、ある日の優しさを感じるための前置きで、
喜怒哀楽のスパイスが混ざった私なりの一品を飾るバックミュージックなのかもしれない。

今日は楽しかった。

「優しい気持ちで目覚めた朝は大人になっても奇跡は起こるよ」

小さい奇跡を仲間外れにせずに、ちゃんと奇跡だと認めてあげたい。
見落としそうな幸せをちゃんと見つけていたい。

明日は確かにウザいほどやってくる。
それでも、優しい気持ちで朝を迎えることができれば、私は十分。
明日も朝日と夕焼けが美しいことに気付けるかな。
先週買ったピンクの椅子を見つめて、部屋の電気を消した。

※この物語は半分以上フィクションです。

MODEL:僕の友達(女性)
明るい性格と独特なセンスで周囲を明るくする。








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