縁側、冷えたビールとセブンスター。
昔から正月は好きだ。
親戚とも仲がよく、話していても楽しいし、学生の僕はまだお年玉がもらえる。
22回目の正月を僕は、ボーッとして迎えた。
僕の正月はこうだ。
大晦日の18時ごろから母方の祖母宅へ行き、世間話をしながら紅白とガキ使を行ったり来たりする。
行く年くる年をバックに新年の挨拶をし、寝床に入る。
次の日は朝9時から家族で近所の山の神社に初詣。
12時からは父方の祖母宅で最大16人集まる親戚と夜まで飲み会。
忙しくも充実するのだ。
おかげさまで2日は昼まで夢の中にいることができる。
ショートスリーパーの僕からすれば、転がってきた睡眠時間だ。
親戚が16人いるとはいえ、昼から夜まで飲んでいれば、グダグダする時間も発生する。
盛り上げ隊長の叔父が昼寝をしたときや、機嫌が悪くなった反抗期の妹が帰宅する時なんかがそうだ。
僕と親父は、のんびりとビールを飲んで、昼寝と帰宅を見送っていた。
今時室内での喫煙を許す人の方が少ないだろう。
僕は縁側でタバコを吸う。
正月の外気はツンとしている。
僕はこれを「冬の匂い」と呼んでいる。
5本目のビールを空にしたばかりだった僕は、いい酔い覚ましになるなと考えていた。
そこに親父が来た。
「おう」と一言。
親父は似合わないラフさで呼びかける。
親父は180cm、筋肉質の僕とは違い痩せ身だ。
「まあ座ろうぜ」と、親父が言う。
昔からかなりの酒好きで、大学時代には、泥酔し道路で寝た挙句財布を盗られると言う経験をしている親父の言葉は妙に板についている。
縁側に2人で座る。
親父はあぐら、僕は立て膝だ。
大学の話、将来の話、家族の話をした。
親父は誠実で、嘘をつかないから面白い。
「あははは」と綺麗な発音で笑いながら話す。
国語の教員免許を取得している彼は、話す日本語も美しい。
できるだけ誰も傷つけないように、同時に自分の意図が伝わるように、優しすぎる言葉選びが、たまに笑えてくる。
実は、僕と親父は少し特別な関係である。
どう特別なのかはここでは書かない。
僕にも分かっていない部分がまだあるし、誰彼構わずぺらぺらと話す気分になれない内容だからだ。
僕の大事な過去、今を形成するアイデンティティの一つだ。
僕はそのことについて話を振ってみた。
親父は遠くを見つめる目をして、庭の松の木を見ていた。
親父は世界を美しく見ようとする。
その目はずっと変わっていない。
「まあ、お父さんとお母さんにとっても、おっきな出来事だからなあ」といった。
実は、このことを僕が知っていると言うことを母親は知らない。
親父は僕が成人したタイミングで伝えてくれた。
上手く言えるか分からなかったから、と言って7枚にもおよぶ手紙まで準備していた。
親父の達筆な字で丁寧に綴られていた。
親父の徹底した誠実さが僕は好きだ。
中学生の頃、急に呼び止められ、和紙に「謙虚に、誠実に」と書いてくれ。
と頼まれたことだってある。
親父は、信頼関係を築く上で、最も誠実に振舞わなければならないタイミングをよく理解している。
経営者としても、存分に活かされていることだろう。
親とは、自分では到底記憶していない昔を鮮明に知る人物だ。
僕はセブンスターを吸いながら、親父に優しい質問を投げかけた。
生真面目な親父のことだ、きっと悩んでいるに違いなかったからだ。
正月の15時の気温はヒートテックを貫通して、肌を突き刺していた。
縁側で冷ましていた、冷蔵庫に入りきらなかったビールも、寒さに追い討ちをかけた。
2本目を開ける気分にはならなかった。
親父、戻ろうぜ。
おう。
背丈も同じ親子は遠くから見れば親友のように映ることだろう。
そして、いつも2人の間にある350mlのビールは、いわば思い出のようなものか。
親父の生真面目さを十分に受け継いだ僕は、親父との時間が心地よかった。
僕は来年から社会人として、日本の経済を支えることになる。
そして、経済人としての僕と同時に、詩人や作家のような感受性も持ち合わせていたいと願う。
東京という街で心の豊さを忘れないように、たまには親父と電話をしようと思った。
彼は、僕の過去のストーリーテラーであり、現在地を知らせてくれるピンであり、恩人でもある。
今年の正月も、良かった。
もう帰らないと決めた故郷に、大事な物があることが確信に変わったからだ。
また、会いに行くよ。
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