5月31日の回想

もう夏だなんて言葉が飛び交っている。セミも鳴いていなければ、梅雨だってまだきていない。春でも夏でもない、宙に浮いている1週間とでも呼ぶべきだろうか。
僕は河原で大学の友人と缶チューハイを飲んでいた。
川の音と初夏の玄関の気温は、気持ちを落ち着かせる。
明日から梅雨入りらしい。洗濯物を少し気にしながら、ちまちまと酒を流し込んでいく。17時にはちょっと早いレモンの味だ。

この友人は先週彼女と別れたと言う。それを聞いて今日話している訳だが、相談とも愚痴ともとれない曖昧な話が1時間近く続いている。
おそらく引きずっているとは思われたくないが、慰められたいのだろう。
あと30分くらいしたら帰ろうかな。周りの蚊に尋ねてみる。
お前は夏の風物詩とは認めたくない。
この友人にとって前の恋人は蚊のような存在になることだろう。
20代の2年と言う時間を共に過ごした記憶は、常に頭の中からは消えないだろう。
まるで、鬱陶しさと懐かしさを思い出せ続ける蚊だ。
これから彼は、彼女との記憶を教科書に恋愛をしなければならない。
思い出だって上書きしなければいけない場所が数えられないほどある。

「結婚なんて出来んのかな。」
友人はタバコに火をつけながら言った。
大学4年とはいえ結婚願望は強いようだ。
彼は今きっと思い出に鍵をかけて、美しいものだけを持ち出している。
「確かにな。」
半径5km以内で最も適当な相槌を打っておいた。

友人は泣いていた。
鍵を閉めたはいいものの、鍵を捨てられずにギュッと握り締めているのだ。
恋愛の痛みは恋愛で忘れるしかない。なんてどこのバカが言ったのか分からないような格言を使って慰めておいた。

そもそも恋愛と結婚を一直線上に考えるのが野暮だ。
なぜ社会契約と本能を同一視するのか。
僕らの100年後の子孫のDNAにはこれがすりこまれているんじゃないかと思うと、文明の発達の恐ろしさを感じざるをえない。
お前が2年間やっていたのは、結婚生活の構築に向けたラポール形成(信頼関係構築)と適性審査なのか、若さと肉欲にまみれた本能的な恋愛だったのか。考えれば分かる。
若くして結婚し、離婚する夫婦が多いのは、これを勘違いするからだ。
バカだ。
僕はどうしても冷めた目で見てしまう。
正直、この友人が泣いているのもあまり理解できない。

最後に恋愛で泣いたのはいつだろう。

大学3年の夏だ。僕にも1年間付き合っていた恋人がいた。
記憶のタンスから鍵を探して、少しだけ思い出の箱を開けてみることにした。

笑顔が素敵な人だった。でも料理はできなかった。いつも手を繋いでくれた。でも気分屋でわがままだった。
いいとこ49嫌なとこ51の比率で思い出が蘇ってくる。
彼女との恋愛は楽しかった。尻に敷かれてはいたが、それでも僕に400ページの小説と教科書を残してくれた。
それでも今別れているのは理由がある。ああ肺のあたりが痛いや。

これだから思い出の箱を開けるのは厄介だ。
美化された思い出を「違う違う。」と訂正するのが面倒だ。
あんなやついらん。もう消えて欲しい。400ページ目の一文を思い出して欲しい。
夜に地元の友人と電話をしながら、ポケットティッシュを使い切ったことを忘れてはいない。
どこかの純愛映画を思い出した。
あんなもの虚構にすぎない。

相変わらず川の音は一定だ。今風にいえばチルい。
友人の方を見た。
Instagramを見ていた。落ち着いたか。
僕は気にせず頭の中の整理を続けることにした。

彼女とはもう1年近く話していない。
裸で抱き合った男女がもはや他人で、認識の端と端にいることが笑えてくる。
最後は僕が切れたんだった。我慢の限界だったんだっけ。
あと5分電話をしたい。あと1回多くLINEをしたい。
そんな高校生みたいな願いを聞いてもらえず、1年間の恋愛は終わりだ。
呆気なすぎる。
きっとタイミングが悪かった。僕が彼女を惹きつけていれば結果も変わったさ。
そう。全て僕が悪い。
彼女の嫌いだったところは、全てを他人のせいにするところだ。
何か注意をすれば、他の人を引き合いにして自己保身をしていた。
デートが楽しくなかったら、僕のプランと会話を責めた。
精神年齢と視座が釣り合っていない。
不可解で面白くて、ついに吹いてしまった。

そんな彼女の最後の言葉を思い出した。
「あなたがそう言うならいいよ。」
ここでも僕任せだった。
ああそうか、僕は暇つぶしだったんだと悲しくなったのを覚えている。

「お前もよくあの子と1年間付き合ったよな。」
急に友人が喋りかけてきた。
どうも次は俺に2年間の経験からアドバイスをしたくなったらしい。
「そうだな。盲目だった。」

確かに、言われてみれば不可解なのは僕のほうだ。
付き合って3ヶ月もしないうちに彼女の悪いところなんて全部知っていた。
それでもなんとか好いてもらいたいと一生懸命プレゼントやサプライズを考えた。
これは魔法だ。
当時僕は、「あいつを運命の人にする努力は惜しまない。」なんて言葉をよく言っていた。
結果、それが執着に変わっていく訳だが。

なんで好きだったんだっけ。
分からない。これだけはどこを探しても見つからない。
確かに僕のタイプとは全然違った。
それでも僕は夢中になった。
周りからは盲目さを指摘されながらも産卵期の鮭みたく追いかけた。
これが恋の魔法ってやつかと。
歴史上に為政者が女性に狂い国が崩壊した例がいくつかあるが、その気持ちを完璧に理解した。
人間とは恐ろしい生き物だ。

NHKの子供向け番組のオープニングのセリフを思い出した。
「なんでも知ってるつもりでも、本当は知らないことがたくさんあるんだよ」
人間は失敗を繰り返す。きっと人類の盲目な恋愛はあと数百年は続いていくことだろう。
脳科学者の知り合いができたら聞いてみたい。
けど知りたくない気もする。

このモヤモヤした気持ちがきっとまた人を恋に向かわせるのだろう。
どこかのバカの格言がやけに理解できた。
河原でこんなしっとりとした話をするのも、きっと恋の話だからだ。
人間と恋は切り離せないものだ。
彩度の高いピンクや黄色がセピアに変わるのも含めて美しい。

きっと来年の今頃は忘れているに違いない回想を、ちょっとだけ大事にしたくなった。
友人の話は6割型聞き流してしまったが、礼を言った。
彼は「こっちこそありがとうな。」
と言った。

帰り道のコンビニで、ハイボールを買った。
ベランダに腰掛けて、好きな音楽を聴きたくなった。
明日は雨だ。
少し蒸し暑い夜を味わいたくなった。



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