『まやまやぽん体操』の歌詞を徹底解説
「悪魔崇拝だ」「子供の影響に悪い」「狂っている」
これは、2023年7月18日の午後11時45分に放送されたNHKの番組である『まやまやぽん体操』に対しての反応である。
なぜ、このようなコメントが付いたのだろうか。
今回は実際にまやまやぽんの歌詞を分析しながら、本当に不適切だったのかを考えていく。
そもそもの『まやまやぽん体操』とは何であろうか。
これは、去年の夏ごろから開催されている古代メキシコ展の開催と合わせて放送されたNHKの番組であり、“古代メキシコ文明の魅力を伝える”ために、製作されたものである。
しかし、“歌詞に不適切な表現がある”と言われたり、“狂っている”といったコメントが付き、終いには“これは悪魔崇拝の歌だ”と陰謀論者が騒ぐ始末となった。誠に遺憾なものである。
では、実際に歌詞を見ていこう。
これはオルメカ文明の遺産としてたびたび発見されるジャガーマンのことを指している。オルメカに限らずメソアメリカには多くのジャガーと人間を足したような存在の壁画や彫刻が発見されており、メソアメリカ全体としてジャガー信仰が存在した。自然の中で最も強力で神聖なジャガーに憧れがあったのだろう。
これはアステカ王国における戦士職であるジャガーの戦士と鷲の戦士について述べていると考えられる。市民も戦士として戦うこともできた、ほとんどの場合、戦士自体がエリート階級の仕事であり、特権を与えられる代わりに戦場で戦い、敗北すれば捕虜として生贄にされる場合もあったという。
また、鷲の戦士は現在開催されている『古代メキシコ展』でも鷲の戦士の像が見ることができる。自然界で強く神話にも登場した鷲の姿をした像は、その堂々とした立ち姿から彼らの信仰と勇ましさが感じられる。
テオティワカンといえば、羽毛の生えた蛇の神殿であろう。まさしくそれを表している。羽毛の生えた蛇はメソアメリカでも名前を変えて、広い範囲で信仰されていた。アステカなどではケツァルコアトル、マヤではククルカンとしての名が有名だろう。
「そこらの蛇とは違うんです」←当たり前である。
今回の展示でも羽毛の生えた蛇神殿の石像が持ち込まれており、テオティワカン人の美しい彫刻技術を体感することができる。
これは、死後の価値観についてである。メソアメリカでは戦士や出産などの自己犠牲の末の死を特別視し、このような死に方をした人間は死後4年後ハチドリや美しい蝶として生まれ変わるとされていた。アステカではその地をまさしく天国としていた。また、自己犠牲しなかった人間(一般人を含む)はミクトランに赴き9年間の苦難の苦痛の旅の末、魂の永遠消滅を迎える。
これについて、何も調べず不確かな情報のみをまとめ上げ、さもそれが真実のように風潮していた愚かなまとめサイトでは、なぜかチムー文明を持ち出していたが、これは大きな間違いである。
集団生贄についての歌詞の元ネタは1980年代ごろのテオティワカンの羽毛の蛇神殿で発見された200体以上の集団生贄の痕跡のことである。
天国とされている場所に行くには自己犠牲は必須であり、生贄はその手段の一つであったのだ。また天国に行くための残りの方法とは戦士として死ぬか、出産の末に死ぬかであった。
ここまで歌詞を見てきたが、個人的感想から言えば、歌詞に特に問題はないように感じる。理由としては歌詞事態に間違ったものはなく、しっかりとメソアメリカの文化や風習を理解したうえでユーモワのある曲として完成されていたからである。
これを不適説だなんだといっている人間は、古代メキシコの人々の文化や生き方を学んだことがなかったのだろう。
一度、こういうものに非難や意見を飛ばす前に、自分の教養のなさと無知を反省し、学習に立ち返ってみるべきである。
もしそれができなければ、今回恥をさらした彼らのように厚顔無恥な発言を繰り返すだけの人間になってしまうのだから。
2024/3/12 金蔵 皇栄
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