メイベル-天魔の神判代行者-【第2話】

 ――ユスティス教日本支部、院長室。
「……祟り?」
 呼び出されたメイは、その話を切り出され思わず鸚鵡返しに返した。
 院長のマザー・マルレーネは、「えぇ」と頷く。
「信者さんからご相談がありまして。N市のある地域で、ここ1週間で3人もの行方不明者が出ているらしいのです」
 マザーが修道女から伝え聞いたその信者――農家の女性の話では、次のようだった。
 最初に姿を消したのは、高齢男性だったらしい。近隣に息子家族は住んでいるが同居はしていないいわゆる独居老人で、認知症を患っており、過去には徘徊して行方知れずとなる事件も発生していた。そのため、今回も同様に徘徊によるものだと最初は思われていたらしい。
 しかし老人は一向に見つからず、その翌々日、次に近くに住む20代女性が姿を消し、ほどなくして50代男性が行方不明になった。
 これは異常事態だ。何か大きな事件じゃないのか。住民の間に不穏な空気が流れ始めた頃、その目撃情報は現れた。
『蛇だ! 大蛇が出た!』
 その夜、血相を変えてそう叫んだのは、ボランティアで営まれている地域パトロール隊の男性だった。
 まさか。夢でも見たんじゃないか。パトロール隊の一同はそう笑ったが、男性のあまりの顔色の悪さに、すぐに笑いは鳴りを潜めた。
 大蛇の話は瞬く間に近所に伝わり、そこで住民たちは、地元神社に祀られている蛇神の伝説を思い出した。教会に相談に来た女性も、その一人だった。
『きっと祟りです! みな蛇神さまに丸呑みにされてしまったんです!』
 女性は話を聞いた修道女に、涙ながらにそう訴えたらしい。次は自分や子供、あるいは孫が被害に遭うかもしれないと思ったら、堪えきれなかったのだという。
「……警察は?」
「動いてはいるようですが、今のところこれといった進展はなく」
 休めの姿勢のまま淡々と尋ねるメイに、マザーは悲しげに瞼を伏せる。
「事情は分かりました。しかし、日本古来の神仏あやかしの類いとなれば、それは我々の専門外では」
 メイの所属する『ユスティス教会』は、ローマ神話に語られる正義の女神ユスティティアを信奉する祓魔師集団だ。その成り立ちは古く、元はキリスト教カトリック派にルーツを持つという。キリスト教に由来する悪魔とそれを祓う術には長けているが、他宗教のことに関しては門外漢だ。悪魔には悪魔の、神には神の、あやかしにはあやかしの対処方法がある。
「確かに、我々は悪魔と戦う者。しかし敬虔なる信者の方からの相談を、無下にするわけにはいきません。悪魔の仕業でなくとも――たとえ人の行いであろうとも、調査に協力することはできます」
 ニコリと慈愛に満ちた笑みを浮かべるマザーに、メイは思わず苦虫を噛み潰した顔をしそうになった。代わりに小さな嘆息一つ。
(まぁ、なんとかならなくはないが)
「了解いたしました。至急、現地へ向かいます」
 頷くマザー。
「現地には先にBランクの祓魔師乙女を向かわせてあります。合流して情報を共有するように」
「イエス、マザー」
「あなたに女神のご加護があらんことを」
 それは、悪魔憑きにあまりにも皮肉めいた祈りだった。

   *

「おっそ~い!」
 女子宿舎の屋根裏部屋を開けると、ベルのふくれっつらが視界を埋め尽くした。
 ベルがひらりと宙に翻る。
「もう! 話長過ぎ~! このアタシを放置するなんて、契約者にあるまじき怠慢よ!」
「そんなに文句を言うなら付いてくればいいじゃないか」
「えっ、アタシともっと一緒にいたい?」
「言ってない」
 一刀両断で返せば、ベルはむぅとむくれる。
「だってあのおばあちゃん苦手なんだもん。そりゃメイを拾ってくれたのは感謝してるわよ? でも悪魔であるアタシを見ても平然とニコニコしてるって、おかしいわよ。ぞわぞわする」
 老修道女のあの聖母のような笑みを思い出してか、ベルは自身を抱き締めるようにして鳥肌の立つ二の腕をさする。
 ベルの言い分は分からなくなかった。
 院長マザー・マルレーネには、確かにメイも感謝している。5年間――メイはベルと契約し悪魔憑きとなった。しかし親を失い、頼れる親類もおらず、行く当てもない。そんなメイに手を差し伸べてくれたのは、他でもないマザー・マルレーネだった。
 周囲の修道女たちの反対を押し切りメイとベル、そしてニナを受け入れてくれたマザー。メイに悪魔祓いの知識と技術を授けてくれたのも彼女だ。感謝してもしきれない。しかし――
 あの優しい眼差し。あれを向けられると、全てを見透かされているような気がしてしまうのだ。
 メイは思考を振り払うように頭を振って、ベルを見上げた。
「ところで……何をしてるんだ?」
 いつも通り、修道女が見たら卒倒しそうな露出の多い格好の上には、真白いエプロン。頭には同じく白の三角巾。そして右手に握られるは、古典的な『はたき』。
「何って、掃除に決まってるじゃない」
 掃除の真っ只中だった。
 ベルは空中をブンブンと飛び回りながら、パタパタと部屋中にはたきを掛けていく。
「もう! こんな部屋で過ごしてたらメイの身体が壊れちゃうわ!」
「……言うほど汚くもないと思うが」
 メイは部屋の中を見回しながら言った。
 床には脱ぎ散らかされた私服やネグリジェ、洗濯に出そうと思っていた尼僧服仕事着が散らばり、部屋の隅にはメンテナンス予定の銃器がごちゃっと積み重なっている。机の引き出しも、クローゼットも開けっぱなし。使った物は使いっぱなしで、そこら辺に放り出されている。
 多少雑多であるとは思う。しかしメイはどこに何があるか把握しており、困ることはない。
 それに、まだ床は見えている。
 悪魔憑きであるが故、〈魔女〉として嫌われているメイは、例外的に個室を与えられていた。といっても元は物置だった屋根裏は埃が溜りやすい。
 だが、そんなに目くじらを立てるほど汚いだろうか?
「これを汚部屋と呼ばずしてなんと呼ぶのよ!」
 思っていると、メイの目の前にニョキッとベルが生えた。
「いいこと! メイ!」
 ビシリと、ベルはメイにはたきを突きつける。
「健全な魂は、健全な肉体と健全な精神に宿るの! こんな埃っぽい汚部屋で過ごすなんて、神が許してもアタシが許さないんだからね!」
 そう言ってベルは、ぷんすこしながら部屋中を飛び回る。
「熱心なことだな」
 呆れ混じり、嘆息混じりに呟き、メイは床に散乱した服の中から、ライダースジャケットを引っ張り出す。あら、と楽しげな声が頭上に降る。
「人間だって素材を美味しく食べられるように努力料理するでしょ? それと一緒」
 怪しげに細められる、金の瞳。ベルはつ、と。差し出した人差し指で、メイの顎を撫でる。
「美味しいモノは、もっと美味しく食べたいじゃない」
「…………」
 にこり。無邪気に笑むベルに、メイはややあって大きな溜息を吐き出した。
「付き合ってられん。置いてくぞ」
「え? え? おでかけ? デート?」
 未だ掃除婦の格好のまま目を輝かせるベルに背を向け、メイはライダースを羽織る。
「仕事だ、出かけるぞ」

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