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江戸のインクルーシブ教育
私の教室は「学習支援事業所 寺子屋」という名前です。
「学習塾」ではなく「寺子屋」を始めたいと名前を付けました。
小学1年生から高校生、浪人生まで
クラス分けすることなく一緒に学びます。
学校では支援学級に通っている子も私の教室では一緒に学んでいます。
定額、通い放題なので、
各自が好きなときに来て、好きな勉強をして、好きなときに帰ります。
遅刻も早退も欠席も不登校も、そもそも、そういう概念がありません。
「インクルーシブ教育」という言葉を聞く機会が増えたように感じます。
新しい教育のように聞こえるかもしれませんが、
日本の江戸時代にもあったのです。
あらゆる国、あらゆる時代で同じような教育が行われていたはずです。
平和な時代が続いて、政治が安定して、庶民が豊かになれば、
価値観が多様化します。
統治者には都合が悪いことかもしれませんが、
逆説的になりますが、統治者に威厳や威信が無いのは、
統治が成功している場合が多いのではないでしょうか?
(近隣の国と比べれば、そう思いませんか?)
戦争の時代や貧しい時代には教育にも
効率の良い一斉、一律の教育が求められますが、
明治維新からは約150年、終戦からはもうすぐ80年です。
一斉状業、一律の教育、価値観が多様化して集団をまとめることの困難さを感じながら、それを嘆きながら教育を行うのではなく、
平和な時代、豊かな時代が続いたことの喜びを感じながら、
公教育にも、もっともっと多様性を認めるべきだと私は思います。
勉強をしたくない子に無理やり勉強をさせようとする努力、労力、
個人を無理やり集団に帰属させようとする努力、労力、
あまり望まれていないかもしれない、その(むくわれない)労力のために
学校の先生は疲弊しているのではないか?
一生懸命がんばっているのに、あまり感謝されない。
そんな風に、ときどき私は思います。