どん底から復活までの4年間の放浪記前半
この前の告知どおり、備忘録として残しておきたいのでかいておきます。
ま、ここまでかれこれしっかり陸上ができていることに感謝したいです。ある意味奇跡だと思ってます。間違えなく今の環境のお陰ですね。
てことで、まあ高校2年がピークだと言われた男がやっと帰ってきたのでここまで帰ってこれた経緯とか心境とかしょうもなきランナーなりに語りたいと思います。
1章 トンネルの始まり
高校2年で伸びはじめ、2000では5:50秒台のベストを残し、冬季練を順調に乗り越えてさぁ、3年の春強豪高校と張り合おうじゃないかと意気込んでいた長距離キャプテンは冬季練で足底筋膜炎を起こす。
これを我慢して走っているとかばっていたところからボロボロになっていく。走れない、全力で大会で走れない、走ってもあんまり出し切れない、そんな感覚でメンタルもすり減っていく。
そして。そんな状態でむかえた支部予選。1500、5000ともに都大会すらいけない地獄で幕を閉じる。5000に関してはスタートから脱水気味で途中棄権。
ここで、高校陸上を引退。いや、終わってますよねこれ。今思うとほんとに長距離キャプテンとして最後までこの頃はダメだったと反省している。心境としては陸上がトラウマになっていた。
第2章 結局陸上、だけと嫌気がさし道を外す
さすがに引退して、半年たったら、ジョグくらいはしたくなって、少しずつ練習もできるようになって、大学生へとなった。ここで現実を知ることになる。
大学で翔琉さんと言う先輩から明大同に誘われ、大学陸上をスタート。まあ、ここで現実を知ってしまいます。ぜんぜんみんな自分より速いです。高校のころ一番だっただけに井の中の蛙大海を知らず状態でした。
最初は頑張ろうと思い、しっかり練習していましたが、どんな練習をして良いかも知識が浅く、わからず中距離練をしたりで、ダメになっていきとうとう陸上を嫌いになり、飛んでもなくヤバイ生活が始まります。
陸上を完全シャットアウトし、バイトだけして、あとは陸上長距離選手としてやってはいけない私生活(気になったら聞いてください)を過ごし、人間としてもダメになっていきます。
第3章 ほんのきっかけから陸上にもどる
そんな、カスみたいな生活をしていましたが、そんな生活にも限界をむかえ、何かしたいなと思いました。そんなとき、クラ対駅伝にメンバーがいなくて、さそってくれた明大同の同期がいて、そこからぜんぜん走れなかったですけどもう一回陸上に帰ってきました。今思うとまじで、感謝したいです。
ここまででは特に言えるようなことはないので後編の最後に伝えたいことを言いたいなと。
前半はここまで、後半は陸上を再び始めてからのことを綴ります。