その26:女子剣道再考(上)
2021年2月中旬、イギリス在住の松田和世さんが『世界のファインレディース剣道』(FINE LEDIES KENDO WORLDWIDE)という雑誌を発刊した。年間2・3回発行するという。創刊に当たって何か書いてほしいというメールを頂いたので、「松籟庵便り」に掲載する予定でまとめていたものの中から引用して送った。その全文を3回に分けてお便りする。
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令和2年(2020)1月、全日本剣道連盟による剣道人口の調査結果が月刊『武道』に掲載された。それによると日本の剣道全人口は1,942,563名、その内女性が577,015名である。
戦前・戦中の日本の女性剣士では高野初江先生が有名だが、どのくらい女性が剣道を修行していたのか私の手元には資料がない。むしろ戦前は海外の方が女性の剣道人口は多かったと思う。それは中村藤吉先生がアメリカに渡り北米武徳会々長として、多くの日系人を指導したことによるだろう。
戦後、全日本剣道連盟が発足して、少しずつではあるが女性の姿を見るようになった。剣道に男女の区別はないが、ここではあえて、女性が行う剣道を「女子剣道」と呼ぶことにする。
剣道の目的は段位取得ではないが、段位の取得状況はその発展の推移を見るのに分かりやすいので、「女子剣道」の歴史を女性の有段者数を中心に考えてみた。
その前に私は「女子剣道」に関する著書を3冊出版したので紹介して置く。
① 新体育学講座49『コーチ学女子剣道編』、逍遥書院、昭和56年(1981) 12月25日(今年、出版40周年記念ということで復刻版の製作を予定している。)
② 『女性剣道教室』、島津書房、昭和63年(1988) 8月10日
③ 『女子剣道の歴史と課題』、ハイングラフ、平成28年(2016) 9月1日
特に①は、女性の剣道に関する資料や文献がまったくないところから始め、7年掛けて執筆し出版した。振り返ると、「女子剣道」に付いて研究することなど、日本国中の剣道家が考えていない頃に始めたので困難な道のりだった。出版後、200通を超える批判やお叱り・クレームの手紙と葉書や電話で毎日対応に追われたが、情熱を持って執筆したのでそういうものは全く気にならなかった。むしろ、そんなに注目されているのかと喜んだものである。そして、売れたかどうかにかかわらず、人生で最も情熱を傾けた渾身の一冊なのである。
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「女子剣道研究」の切っ掛け
昭和48年(1974)、教育学を志して大学院へ進み、日本教育史の分野で特に著名な土屋忠雄教授の門に入ることができた。土屋研究室で学んだことが、その後の研究に、そして剣道にも大きく影響した。当時は誰もやらない「女子剣道」研究へ向かったのも土屋先生に学んだ御蔭と感謝している。
土屋先生は私に、「歴史の研究は足を使うことが大事だよ」とおっしゃった。それは、「自分の研究に少しでも関わりがあると思ったら、そこに出掛けて行って直接自分の目で調べなさい」ということだった。そのことは研究だけではなく剣道の武者修行にも生きた。
修士論文は、「女子剣道」とは全く関係ない研究だったが、論文提出後、私の人生を変えた一冊の論文集に出会ったのだ。『野間教育研究所紀要(第一輯(しゅう))』(昭和22年10月31日発行)である。コロナ禍の中、久し振りに本棚から取り出して読んだが、戦争が終結してわずか2年、紙質も最悪で頁をめくるにも丁寧に扱わないと破れそうな状態である。野間教育研究所研究部主任だった土屋先生が、『明治文学に見る女子教育問題』というテーマで134ページにわたる論文を発表していた。修士課程終了後の研究分野の方向を模索していた時だったので内容を読んで感動した。
この論文は時代が転換した後、どのような政策で教育を行わなければならないかということを探求していた。先生は私に以下のような助言をして下さった。
「戦争前と戦争後は国の政策が大きく変化した。転換期というのは面白いよ。ただし剣道界の批判を覚悟しないとね」。行先が困難なことを覚悟して、「女子剣道」の研究に向かった大きな一言だったが、その論文にも書いてあった。
「時代と社会が必然的に伸びて行く方向を洞察し、問題解決の方向を発展的な方向に見出すべきである。しかし困難はここにある。人々の心や生活は、法令と共に一朝にして変わるものではない。我々の前に突如として全く新しい社会が出現して、古い社会を全く忘れ去った人々がそこに移り住むというようには社会の発展は進まない。現在においても、従来の伝統を持った社会、それが新しい社会へと脱皮していくのである。脱皮しようとするものを妨げることが様々に行われるであろう。まずこの試練を経なければならない」。
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土屋先生の言った通りのことが起きた。
前述したが、200通を超える批判やお叱り・クレームの手紙と葉書や電話があった。しかし、二人の先生が評価してくれたので心が癒された。二人だけと言った方が適切か。
一人は湯野正憲先生で当時全国高体連の剣道部長だったと思う。ある晩電話があった。また叱られるか、と思って電話に出たら、「よく書いてくれた。発想がいい」とまさかのお褒めの言葉だった。
「何故、女子剣道のことについて書こうと思ったのか?」という質問があったが、
「現時点で指導法がないし、女性の体格・体力・運動能力そして生理的男女差や心理的男女差等々のことを知らないで、クラブ活動を指導していると怪我や病気の原因になると思って7年間も女性のことを調べて書きました」と伝えた。湯野先生はこうおっしゃった。
「私も高校女子の剣道に付いて書こうと思っていたが、なかなか資料が見付からなかった。私は男だから男子はただ鍛えればいいと思っているが、女子はそれだけではないと思っていた。君が出版したからもうやらなくてよくなったよ」。
もう一人は父だった。自分の息子を批判するわけにはいかないだろうと思っていたが、父のアルバムには昭和27年(1952)の福島国体の撓競技で優勝した埼玉県代表の大和田穎子さん(浦和出身)との写真があった。80歳の時出版した自伝的剣道論『剣道八十年』で、「女子剣道について」と題し持論を記している。
「戦前は女子の剣道は殆んど見られず薙刀が主だった。(戦後)撓競技は痛くなく、ケガもないというので、女子でもやる人はいた。大和田穎子さんが、福島国体で埼玉県代表で出場し、撓競技女子の部で優勝された。ゲームになっておらず、オープンゲームでの優勝だった。剣道も三段位だった」。さらに、「女子剣道が盛んになることに賛否両論あると思うが、男子と違い(本質は同じだが)、女子の剣道は柔らかく本来の剣道に近い。力もスピードもあり、力まかせ、体力まかせの男子と比べ、力・体力・スピードが劣る女子剣道も、コツを覚えると素晴らしいものになる。ある程度の生理的ハンディキャップはあるが、発展させなくてはならない。勝負を度外視すると発展するし、指導方法にも工夫がほしいところである。
25歳位を過ぎたら体力は徐々に衰え始めるので、剣道によって体力を付けるだけではなく、高齢になっても出来る様に、健康保持を目的とし、勝負を手段とすることから方向転換したらどうだろうか」。そして、最後にこう付け加えている。「女子剣道について次男の小澤博が『剣道時代』に小論文を掲載しているから参考にされたい」と。まだ、新体育学講座『コーチ学女子剣道編』を出版していない時だ。親というものは子供が何をしているかよく見ているのだなと思ったものである。
父が書いている「高齢になっても出来る様に方向転換」する年齢は何歳くらいだろうか。私の経験では男は40歳である。では女性は? 父が言った「コツ」とは何だろうか?
令和3年(2021)3月11日
於松籟庵
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