宇多田ヒカル「PINK BLOOD」の歌詞を及ばずながら考察してみる

2022.02.12

0. いきさつ

少し前にですが、TwitterのDMでとあるアカウントの方から
こんなコメントが来ました。
「宇多田ヒカルの新曲『PINK BLOOD』はアダルトチルドレン (AC) のことを歌っていると思うので、酵母マンさんに考察してみてほしい」

一言で言えば、「そんな難しいことお願いしないでくれ笑」
そもそも宇多田ヒカルの曲はエヴァのテーマで聞いたりとか、
テレビやラジオから流れてくる楽曲として楽しむという程度で、
内容をがっつり考察できるのようなコアなファンではないのです。
それに、宇多田ヒカルの新曲って、そんな大物は取り扱えないなぁ…
などと思っていました。

一方で、「ACが絡んでいるというなら、僕の視点から考察してみるのもありかもしれん…」という気持ちもありました。
ということで、「PINK BLOODはこういうことを描いている!」
という答えを暴くというスタンスではなく、
「ACという視点から読み解くと、こんな解釈もできるよね」
というやんわりとしたスタンスで綴ってみたいと思います。
制作の背景までさかのぼったようなものではなく、
あくまでも歌詞そのものの解釈を考えたい、ということであしらからず。

1. タイトルの意味

まずはタイトルについて考えてみます。
考えるといっても、「PINK BLOOD」という言葉は存在しないので、
ここでは僕がいいなぁと思った2つの考察を紹介します。

1. 同性愛・両性愛という考察 (Link)

Pinkという言葉に含まれる、「同性愛・両性愛」というニュアンスからの考察です。 
MVの内容や、宇多田ヒカル自身の背景について触れていて、
なるほどなぁと思いました。

2. Blood blood = 貴族の血筋との対比という考察 (Link)

こちらの考察は、「PINK BLOOD」のタイアップ曲である、「不滅のあなたに」という作品に絡めて考察されています。
僕個人としては、宇多田ヒカルの音楽界における圧倒的王者感や、PINK BLOODの歌詞の最後にある、
「王座になって座ってらんねぇ」
という部分とも呼応しているので、筋が悪くないかな、と思います。


2. 内容に入る

さて、本題である内容の考察に入ります。

「PINK BLOOD」の歌詞のエッセンスを端的に表せば、
・「他者から要求される圧力」という抑圧を乗り越えて
・自分自身を愛することを大切にして
・その上で自分自身の新たな方向性をどうやって見出すか

この3点に集約されると思います。

ここで、一旦ACとの関連性を考えておきます。
ACに馴染みの無い方もいるかもしれないので、簡単に触れておくと。
最近再流行している、「毒親」などにもつながる話です。
「誰だって1つや2つ家庭環境に不満があるでしょ?」
と思うかもしれませんが、そういった思考は問題の解決を阻害するだけなので、
今後は避けることをおすすめします。
重要なことは個人個人が抱えているヒストリーの問題をいかに解決するか。
その中において、
特に幼い頃〜思春期の家庭環境に、精神的な発達を阻害する抑圧的要因があった
これが、ACという問題の本質であると思います。
この視点にたつと、ACの元来の定義である、アルコール依存や薬物依存の大人を親に持つ、というものはかなり表面的な理解に過ぎないことがおわかりいただけるかと。

さて、上記のような背景を踏まえると、
「PINL BLOOD」で描かれている要求というものが
「社会的な立場や役割(それは性別や属性といったものも含む)を演じることを強制される抑圧」
というものであるのに対し、
ACという概念が問題としているのは、
「家庭環境に由来する精神的な抑圧」です。

なので、僕の解釈としては、「PINK BLOOD」はACのことを真正面から描いているとは言えませんが、
根っこのところにある「抑圧からの解放」というエッセンスが共通しているのかなぁ、と思います。

では、改めて歌詞の内容に入りましょう。


2-1. 「他者から要求される圧力」という抑圧を乗り越えて

いちいち歌詞を載せるのも面倒なので、そちらは各自で調べつつ、
このnoteを読んでみてください。

歌詞の序盤では、
・他者と自分の価値観の違い
・他者の価値観に従う行動がどれほど無意味か

といった内容が描かれています。

私の価値がわからないような
人に大事にされても無駄

自分のためにならないような
努力はやめた方がいいわ
(PINK BLOOOD, Hikaru Utada, 以下同様)

とくにこの部分が端的にそれを表現しています。

ここまではわかりやすいんですよ、この歌は。


2-2. 自分自身を愛することを大切にして


中盤は、序盤と同じ歌詞が繰り替えされます。
その後からが重要です。

自分の価値もわからないような
コドモのままじゃいられないわ

先程の歌詞では、
"他者" が "私自身" の価値を理解していない
という内容でした。
ですがこちらは、
"私自身" が "私自身" の価値を理解していない
という、似ているようで全く異なる内容を描いています。

このあたりの考え方が、AC克服のステップでも登場するので、
僕にDMをくれた方が「この歌はACの歌だ!」と思ったのかもしれませんし、
僕もこの2箇所の違いが重要だと思います。


その後の歌詞は意味深です。

心の穴を埋める何か
失うことを恐れないわ
自分のことを癒せるのは
自分だけだと気づいたから

この歌詞の人物(宇多田ヒカル?)は、
心の穴を埋める "何か" を見出すことができたのでしょうか?

また、自分のことを癒やす = 自愛ができるのは、
本質的には自分自身にしかできない。
言葉にするのは容易いですが、こちらもどのようにやるのでしょうか?

「PINIK BLOOD」という歌の中では具体的なことは描かれませんが、
この部分のエッセンスは "自分自身を愛することを大切にして" だと思います。

ちなみに、酵母マンが見出した方法はこちらにまとめてあるので、
もしご興味があれば…

【愛着・AC 克服記録】
Part 11 無の克服
Column 6-3 (仮) (最終回)


2-3. その上で自分自身の新たな方向性をどうやって見出すか


この歌が面白いなぁと思うのはこの第3幕です。
というか、こんなにシンプルな1つの曲に、3つの大きなテーマをあっさりと盛り込めちゃうところに、宇多田ヒカルというアーティストの類まれなる才能を感じてしまいます。

サイコロ振って出た数進め
終わりの見えない道だって

サイコロ振って一回休め
周りは気にしないでOK

まずは、この "サイコロ" という点を考えてみます。

少し否定的に捉えれば、
「サイコロという運の要素が強いものに、自分の成り行きを委ねてしまってよいのか?それは自分を大切にすることに反しないか?」
という解釈もできます。

ですが、僕はこの歌詞にとてもポジティブな、楽観的姿勢を感じます。
他者の価値観に答えることを指針にしていると、
その抑圧から解放されても、その後どうしたらいいのかわからない。
それだったら、まずはサイコロ片手に一歩踏み出そうじゃないか。
事前に全ての計画を立てて進むんじゃなくて、
成り行きの中から自分自身の道を見い出せばいい。

「休め」が出たら、他人の目は気にしないで休んじゃえ!
というのも、自分を大切にするということを端的に表しています。


後悔なんて着こなすだけ
思い出に変わるその日まで

これは、「過去は捨てずに背負っていくもの
ということを歌っていると思います。
抑圧の解放は、ともすれば
「過去を全て放り投げてしまう」という極端な行動にもつながってしまいます。

しかしこの歌ではそうではなく、
「嫌な過去 = 後悔」は服のように着こなしていくんだ。
着こなすということは、「後悔(服)に操られる」のではなく、
「後悔(服)をうまく使いこなして、それで自分を表現していくことなんだ」
というニュアンスを表現しているように感じ取れます。


王座になんて座ってらんねぇ
自分で選んだ椅子じゃなきゃダメ

「王座」みたいな次元までくると、
宇多田ヒカルにしか当てはまらんだろ笑と思っていまいますが、
もう少し一般的に使える解釈に落とし込みましょう。

「王座」をもう少し柔らかく表現すれば、
「他者から祭り上げられた状態」と言い換えられます。
つまり、
「他者から持ち上がれられて、チヤホヤされる状態は
ろくなもんじゃねぇ」
という、エッセンスその1へのカウンターパンチなわけです。

そして、
自分が選んだ道に腰を据えて取り組んでいくんだ
というニュアンスが最後の歌詞にまとめられていると思います。


3. 終わりに

もう少し、さらっと書くつもりでしたが、
書いてみると案外筆が進んでしまいました。

「PINK BLOOD」という歌が、こんな解釈もできるんだということで
少しでもお楽しみいただければ幸いです。


あと、こういったDMは僕自身も知らなかったいろんな事柄を考えるきっかけになるので、とてもありがたいです。

こんねネタがあるよ!という方がいらっしゃればご一報ください。

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