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【愛着・AC 克服記録】Column 5-8 愛の証明 (急編 その6)

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【愛着・AC 克服記録】Column 5-7 愛の証明 (急編 その5)


5-8 急編 その6
「まずは、自分の中に『絶対的価値軸』を構築しよう」

3-11. ⑤ 正の価値と負の価値

前回は、なんかぐるぐる回ったり、海の話が出てきてましたね。

ちょっと意味わからないと思いますが、それは僕がまだ全貌を書き出せてないからです。
完成した後で俯瞰してみれば、一つのつながりを持ったものとして伝わる…気がする。

複雑な問題をひも解くときは、
1. シンプルな形で考えて、
2. 複雑なものに適応させて、
3. 元の複雑な状態を説明できれば、いいわけです。

少し前(破編)あたりのおさらい。
自分軸というものを復活したので、次は自分以外のものと交わっていきます。

自分を中心に、自分以外のものとの関係性について考える。

ここが、「価値」の概念を理解する、シンプルなスタート地点です。

例えば、食べ物。

「おいしいもの」は自分をハッピーに、ポジティブな気持ちにしてくれる。
「まずいもの」は自分のテンションを下げて、ネガティブにしちゃう。

あるいは、
「いい人・好きな人」に会えたらうれしいし、自分に力を与えてくれる。
「よくない人・嫌いな人」は会ったら嫌な気もちになるし、できれば視界に入ってほしくない。

こういった、自分の中における「いい・よくない」の判断。
これを「価値判断」と呼ぶわけです。

自分にとってポジティブなものは「正の価値」を持ち、
自分にとってネガティブなものは「負の価値」を持つ。

価値判断をしないということは、全てが等価ということですから…
食べ物の「おいしい」と「まずい」を判断してはいけない。
人の「好き」と「嫌い」を判断してはいけない。
平等、等価、全部同じで、良いも悪いもない…

この思想性を強要するのは危険です。
生き物が元来有している「好き」と「嫌い」を否定するわけですから。


生き物として、自然な欲求に従って生きていきたければ、
まずは自分自身が「価値判断」をしている、という事実を認識しましょう。

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3-11. ⑥ 絶対的"価値"と絶対的"価値軸"の違い ― まずは「自分の中」で構築しよう


絶対的価値

人間が追い求めているもののひとつかもしれません。

ここを少し考えてみましょう。


そもそも「絶対的」とは?

英語でいえば、「absolute」
(スターウォーズ エピソードIIIで、アナキンがオビ = ワンに、パルパティーン議長がシス卿(Darth)であると報告したときに発した "Absolutely (必ず)" が僕のなかで印象に残ってます)

絶対という言葉には、本質的に2つの意味があります。

1つは、日常的な「絶対」の感覚に近い、「必ず・完璧」というニュアンス。
この意味合いから生じる「絶対的価値」というものは、要は「極限・最高の価値」です(絶対零度・絶対命令はこちらでしょう)。

しかし、「絶対」にはもう1つの意味があります。
それは、読んで字のごとく、「対が無い(絶えている) = 比較できない」ということ。
こちらにおける「絶対的価値」というものは、「比較しようがないもの・比較対象がないもの・かけがえのないもの」となります。

「かけがえ」の語源知ってます?(あくまで一説ですが)
弓道の道具で、弽(かけ)というものがあります。僕昔弓道部だったんです。弽というのは野球のグローブのようなもので、弓の弦と矢のお尻部分(筈 [はず] といいます、弦に嚙合わせる部分)を掴むために右手全体に装着します。弓道ではこの弓と矢の接触部分のコントロールが極めて重要で、それを達成するには長年使い込んだ弽が大事なんです。他人のものや新品の弽では代用できない。だから、替わりの弽がない = 弽替え(かけがえ)のない、という言葉になります。いくつかあるうちの一番いいもの、という比較の概念とは全く違う、唯一無二の物事に使う言葉です。
あくまで諸説ですよ?あくまでね…

そうして考えてみると、「絶対的価値」と呼ばれるものは、まったく違った意味合いを持つ2つの概念が混ざってしまっているのです。

1つ目の絶対的価値。
こちらは最大・最高の価値をいっているので、その上を行くものが現れると、絶対の座を奪われます。
すなわち、絶対といいながら、実は比較の概念を含んでいる

一方、2つ目の絶対的価値。
こちらは、そもそも比較対象が存在しないので、永劫的に絶対的価値を保つことができます。

実は、人間が通常認識している「絶対的価値」のほとんどは、前者です。
実は比較の概念を含んでいるから、実は比較をしているから、その評価軸の端っこにあるものを、「絶対的価値」として呼んでいるのです。

一方、後者の「絶対的価値」も人間は認識しています。
しかし、人間はそれを「価値あるもの」としては認識できません。
あまりにも絶対的 = 比較ができないので、人間にとってそれは、「当然」なのです。

絶対王政と呼ばれたフランス王政は、フランス革命までは後者の意味における「絶対」でした。王政の転覆などあり得ない、ルイ王朝は永劫的に特権階級であり得た。そしてそれは、フランスの貴族、民にとっても「当然」のことだった。
だが、フランス革命の時期になると、民が主導する国、という概念が生まれ始めた。比較対象のなかった王政に、比べられちゃうものが現れた。
比べるものが現れたことで、絶対王政 = 最高の権力、という価値判断が生じる一方で、貴族・王侯による王政よりも民衆が主導する政治のほうがよい、ということでフランス革命という形に至ったわけです。
(まぁその後のロベスピエールが恐怖政治を行ったりしてるわけで…絶対的価値の座を何かが奪っても、それが優れているとは限らないんですねぇ)

後者の絶対的価値…。比較できないもの…。

それは、例えば「太陽」。例えば「酸素」。例えば「電力」。
そして「自己の誕生」と「自己の死」

あまりにも比べる対象がないから、みなさん「当たり前・当然」と思ってません?

これが、「唯一無二の絶対的価値」です。

(精神疾患の方にとっての「診断」、発達障害の方にとっての「障害」、アダルトチルドレンの方にとっての「毒親」もまた、比較しようがない物事であり、当の本人にとっては絶対的負の価値、といえるかもしれません。他人と比較せず、当事者同士でマウントを取り合ったり、不幸自慢をしたりせず、自分自身の唯一無二の物事に真摯に向き合う覚悟が必要です。)


話を最初に戻します。

私たちは、生き物が持つ自然な性質として、「価値判断」をしました。

判断をしているわけで、そこには比較の概念が存在します。

比較しているので、「より正の価値があるもの」「残念なことに負の価値が強めなもの」という、価値の大きさの判断も生まれます。

こうして生まれるものが、「価値の判断基準」です。

この判断基準の基礎となる「価値軸」は、前回出てきたように、「自分の中の生 = 好き」と、「自分の中の死 = 嫌い」が、自分以外のものとの間で引き寄せあったり、反発したりすることで生じる回転、その結果として形成される螺旋の軸によって生まれました。

価値を判断する人が、自分ひとりであるかぎりは、この価値軸、判断基準には、比較対象がありません。

この状態の判断基準が「比較対象がない = 絶対的価値軸」です。

なので、メンタル問題を克服して、愛情と感謝のサイクルをしっかり認識して、自分軸を獲得することができたら。

その次は、自分軸の形成によって生まれた「生き物としての生と死」、そして生き物が本来持っている「好き・嫌い」の磁石を使って、「自分の内なる絶対的価値軸」を形成します。

何が好きで、何が嫌いか。
まずはそこを「自分の基準」で認識していく。

ただ、この段階で気づいておきたいことは、自分が生き物の性質として価値判断をする以上、自分もまた自分以外のあらゆる存在から「価値判断される」という覚悟が必要です。
↑だから価値の概念は難しいのです。

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